2008年12月29日

【昭和正論座】再び中国報道について問う 作家 曽野綾子

再び中国報道について問う

■樋口氏の記事に寒気覚え
 十一月二十二日から二十六日までの間の四日間に、毎日新聞に樋口恵子さん(平成20年現在評論家 東京家政大学名誉教授)の「中国でみたこと」という記事が、四回に渡って出た。私は隅から隅まで、なめるように読み、再読し、記事を切り抜いた。

 樋口さんのエッセイによると、中国にはイヌやネコが見当らないのだと言う。
「通訳の王さんが、この答えを出してくれた。「新しい中国で、イヌもネコも失業してしまったんですよ。イヌはドロボウの番をする役目でしたが、解放後、ドロボウはほとんどいなくなりました。ネコはネズミをとるのが仕事でしたが、そのネズミを人民の努力によってせん滅してしまいましたから』」
 樋口さんはイヌ・ネコ好きである。イヌ・ネコを飼うのは、決してドロボウの番やネズミとりだけではない、と言う。

 「『そう、外国の人たちは、イヌやネコをよくペットとして飼いますね。中国ではペットはいらないんです。ぺットを愛するのは、人間が信じられないからです。中国では人間同士、同じ階級の同志として愛し合い、満たされているから、イヌやネコによって慰められる必要はありません』」
 ここを読んで私が背筋に寒気を覚えたのは本当である。


■問題感じない人間は異常
 私は今、人を信じられないどころではない、人間の偉大さと卑怯さと、それらのまじり合って混然とした生甲斐の真只中に暮している、と感じている。私が今、生きていることは、直接間接に、他の人々の恩恵によるものである。
 
 私はおもしろい友達をたくさんもち、尊敬に価する知人を各方面にもち、三人の父母たちと、おかしなことばかりしでかす息子の間で、生活に立ち向っている。それでもなお、私はどうしても、私の家から出て行かなかった、世にも薄汚いネコを一匹飼っている。私はネコなどそれほど好きではない。しかし飼ってみれば、それなりに、私はネコから教えられ、ネコと人間の違いをおもしろく観察している。
 ドロボウなら警報ベルの方が確かである。ネズミなら、殺鼠剤の方が効果がある。イヌ・ネコの効用は決してそんな単純なものではない。イヌ・ネコを飼うことは人間の生活にとって一種のムダか余裕であろう。そのムダと余裕が、人間を精神的に豊かにするのである。

 
 樋口さんは又、北京大学へ行かれる。
「『年ごろですから、恋愛も多いでしょうね。学生結婚する人は何組くらいいますか』と質問したら『学生結婚というのは、まずありません。恋愛についても、学生時代は勉強し、思想を向上するのが本分だと理解していますから。余暇もスポーツや文芸活動に打ち込んで、エネルギーを発散しますから、問題ありません』」

 この言葉には、明らかに嘘がある。なぜなら「問題ありません」ということは、この世で、過去にもなかったし、未来にもない。問題を感じなくなったら、人間は異常である。私の知人の十九歳の初年兵は、兵営の中で一度も性の衝動を覚えなかった。「問題はなかった」が、そのことが異常であった。


■「何でもよくなる」不可解
 次に樋口さんは、働く主婦たちについてふれる。今、中国では、六十歳以下で家にいる人は、「ほとんどいない」という。通訳氏は、「ムダ飯は食わない」ということをしきりに言う。女が働くための設備は実にいい。三交代制にそなえて、二十四時間開いている市場には、味つけしさえすればOKという盛り合わせのコーナーもある。
「どの保育所でも、子供たちは生き生きとしていて、日本流の『母親のスキンシップがなくては…』などという悩みは、ほとんど理解できないようだった」と樋口さんは書いておられる。


 私は自分が働いている人間である。小説は虚業だが、実業の家事はかなり有能なつもりである。私はあまりムダ飯を食っていないように見えるが、それなら、一見、三食昼寝つきに見える家庭の奥さんが、ムダ飯を食っているなどと思ったことはない。私は小説を書くことによって、人間の心は、「一見」などでわかるものではなく、どんな生き方も死にものぐるいであることを知った。外で働く運命を持つ者もあり、家にいることによってその役割を果している主婦もいる。人それぞれに与えられた使命を人間的にがっしりと受けとめて、生涯に立ち向かうことが美しいのである。皆が一律に外で働かねばならぬことが、何がいいものか。
 日本のジャーナリズムは、こと中国に関する限り、何でもよくなるのはどういうことなのだろう。


■中国大使館の見解を求む
 日本でも、イヌ・ネコはいらないヽと考えることがいい、というなら、それもよかろう。大学での学生結婚も事実上できない雰囲気を作って「問題ありません」ようにすることが我が国でも理想なら、それもけっこうである。 しかし大学の自由を守ることが我々の理想なら、中国の状況は決していいものとは言えない。婦人労働の三交代制といえば、当然、深夜も含まれるが、おかず屋やその他の附属設備さえ作れば、日本でもただちに婦人を深夜労働に就かせるべきなのか。私は賛成だが、それは、おおかたの労組の考えるところとは正反対の方向を目ざすものであろう。

 働く母が、外でできあいのおかずを買うこと、子供と接触時間が少なくなること、は日本では、今改めて、よくないことと考えられている。それは教育学者や、心理学者など、専門家たちの意見でもあろう。それらが、なぜ中国ならいいことになるのだろうか。
 中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない物の言い方をして来たことを、私は忘れないつもりである。

 もしそれらの報道が正しくないなら、偉大な中国をこのように歪めて伝えたジャーナリズムの罪は大きい。もし中国に関するデータが真実なら、過去の日本で我々が自発的に、人道上の立場から切りすてた要素を、中国なるが故に無責任に讃美したジャーナリズムに対して私は考えを変えるべきである。国交が回復した今、私が本当に聞きたいのは、中国大使館の見解である。彼らが、日本風に言えば「酸いも甘いもかみわけた」大人の日本人を納得させる豊かな中国像を示してくれれば、日本にも君子は少くないから、熱烈な中国ファンに豹変すること、疑いないと思うのである。
                    作家 曽野綾子 昭和49年12月11旧掲載


「視点」
昭和49年11月下旬、毎日新聞に樋口恵子氏が寄せた「中国でみたこと」を曽野氏が論評したものだ。曽野氏はエッセー中の「中国にはドロボウもネズミもいないから、その番をするイヌやネコもいない」というくだりに寒気を覚え、「学生は勉強と思想向上が本分で、学生結婚はない」との話にうそを見抜いた。
 当時、中国から伝えられる話は大体、このようなものだった。同じころ、秋岡家栄・朝日新聞元特派員も人民公社をたたえるルポを書いている。曽野氏は「中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない」とも書いた。それから30年余、親中派の新聞も少しは中国の真実を見抜くようになった。(石)

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2008年12月21日

【昭和正論座】「あいさつ」を忘れた日本人

東大教授・西義之 昭和49年10月23日掲載
 ≪静かな欧州と比べると…≫
 東西ドイツの問題も一応解決し、エネルギー危機もこれまた一応回避した西ドイツは、イタリアの混乱とイギリスの総選挙の話題以外に一見これといった大問題をかかえていそうにありません。

 南ドイツ新聞やフランクフルター・アルゲマイネ、ツァイトなどの編集者の何人かと話しあう機会がありましたが、「少くともドイツにはいま緊急の問題はありませんね」と、こちらが拍子抜けするような返事しかかえってこず、それにくらべると、「むつ」問題、佐藤前首相のノーベル平和賞、東京での再度の爆弾事件、アメリカ軍艦の核装備問題といい、わずか二、三週間留守をしても、日本はなにかちょっと触れればすぐ燃え上るワラシベのようなものに全土がおおわれている印象がとくに強いようです。

 「静かなヨーロッパと沸々とした日本」−−この印象はむろん今度がはじめてではありません。といっても表面静かに見えるヨーロッパの内に全くなにも問題がないというわけではないでしょう。たとえば西ドイツですが、外人労働者の問題は深刻だという人があります。エネルギー危機以来、西ドイツでもレイオフや失業者増加の可能性はいくつかききました。

失業問題が表面化すると、最初に首を切られるのは外人労働者ではないかということであります。外人労働者はいまドイツ人以上に勤勉なので、その首を切ることは一般的な生産低下につながりますし、なによりも外人労働者の従事している職種が、いまのドイツ人のしたがらないものが多いので、生産低下どころか、町全体がゴミの堆積(たいせき)になってしまわないかという危惧(きぐ)さえ生ずるわけです。

 ≪せかせかと何かありげに≫
 「外人労働者は、アメリカの黒人並か?」というプラカードをかかげたデモを見たことがありますが、この問題が若い過激な学生を刺激する可能性もないではありません。外人労働者と失業という関係だけからでなく、外人労働者の子供の保育費(大体、子供が多いのが普通です)の問題、税金、さらに外人労働者子弟の教育条件と、私たちあまり外人労働者をもっていない国民にとっては想像もできない、そして意外に解決困難な問題がいくつも見えかくれしているのが実情なのです。

 しかも日本よりも先進工業国といえる西ドイツの公害問題、大学問題と、そのどれをとっても緊急さをひめていないことはないのですが、どうやらこの国はすべての問題を大袈裟にさわぎ立て、ドラマティジーレン(劇化)しないことに覚悟をきめたように見えます。この国だけではなく、なんどか破産を伝えられるイタリアやイギリスも、その日々の生活の上に「おや、これでも危機か?」と首をかしげたくなるような冷静さが支配しているようです。そして(私を含め)なんだか日本人旅行者だけが、せかせかと何かありげに歩きまわっているみたいでもあります。

 「終末論的雰囲気はドイツにありませんか?」と私がききましたところ、一人の編集者はニベもなく「ありませんね」と答えましたし、ある一人は「石油危機のとき一時的にありましたが、アブクみたいに今は消えました」と言うだけでした。私が参議院選挙のとき、ある作家が「日本はこのままでは飢えて滅びる」というのを唯一のスローガンにして立候補しましたよと話しだすと、みんな不思議そうな顔をし、予言者と政治能力は一致するのだろうか、その候補者はそれで何票ぐらい集めたかと好奇心をちらりと見せたのが、せいぜいの反応でした。

≪まるで動物のような訪問≫
 その作家は昨年春ある週刊誌で福田前蔵相と対談をし、「今年は絶対に不作で、飢饉(ききん)がおこりますよ。賭けませんか」と言っていましたが、その年も今年もべつに飢饉なんておこる様子もなく、その作家も参院選では何十万票か稼ぎ、さらにペンクラブに大挙入会しようと騒いだり−−とにかくフワフワした日本の社会の象徴のようにただ騒々しいだけであるのを、いまちょっと思い出しています。その作家の友人たちもマスコミも、彼をたしなめるどころか、野次馬のようにその周辺にむらがってわいわいやっている風景が、望遠鏡を逆さにのぞいたように遠く小さく見えてきます。

 話題をかえて、今度印象ぶかく思った話を一つ書きます。こちらの大学で有力な地位にいる日本人教授のところに、日本の大学にいる知人が訪問してきたときの話です。

 ちょうど研究室に友人のほかに数人のドイツ人の助手、学生が同席していたのですが、彼はそれにはほとんど目もくれず、「やあ、なつかしいなあ。どうしてる?」と大声でいって寄ってきたそうです。その知人を駅から案内してきたドイツ人にも、彼はべつに一言もお礼をいうでもなく、ようやく日本語をしゃべることのできる嬉しさに、周囲を無視して話しかけるので、しまいにはこちらの大学の日本人は不思議な動物でも見るように、この知人をながめないわけにはいかなかったというのです。

≪世相を一層とげとげしく≫
 私も今度の旅でタクシーを利用することが多いのですが、タクシーの溜り場で、先頭のタクシーのドアをあけると、まず「今日は!」か「今晩は!」と挨拶(あいさつ)するのがふつうです。そして向うもむろんそれに応じます。「どこどこへ行ってくれませんか?」というと、返事することもあり、返事しないで車を動かすこともありますが、途中で話しかけても応じてくるし、降りぎわに「領収書を下さい」と頼むと、正規の領収書にちゃんと署名してくれます。

 日本で、タクシーの運転手の言葉づかいがよく問題になりますが、こちらのようにこちらから「今日は!」と挨拶する人はまずありますまい。「渋谷!」などと言いすてるだけのことが多い筈(はず)です。私はふと、私たちはこちらからマトモな挨拶一つしないで、ただ相手が無礼だと言いすぎていないのだろうか? と考えこんでしまいました。

 ホテルでも、廊下で掃除のおばさんとすれちがっても「今日は!」と挨拶します。煙草一つ買いに店にはいっても「今日は!」「ダンケ・シェーン」の挨拶は忘れるわけにいきません。電車で肘がちょっと触れても「パルドン!」です。

 日本は礼儀の国だといわれたことがありますが、本当なのでしょうか? お客さんにお辞儀一つできない子供ばかり育てながら、差別だなんだかんだと騒いでいるのではありますまいか? それが日本の世相をいっそうとげとげしくし、いたるところで無用の紛争を起していないでしょうか? 五つの大切よりも、まず挨拶を復興しなければならないのではあるまいか? そんな小さなことを考えながら、ドイツの宿の一室で騒然たる日本のことを思いだしたりします。=ボンにて (にし よしゆき)
                  ◇
 【視点】石油危機や金融危機に直面して、国民はパニックになるか、団結して乗り切るか。それぞれの国民性が表面化するらしい。西義之氏のドイツ・ルポは、かの地が石油危機にあっても終末論的な雰囲気が一過性であり、パニックに陥った日本とは大きな違いであることを報告している。
 その筆は、勢いのままに品位と礼節があった日本人が、変わってしまったことを嘆く。ときに横柄に感じる欧米人が、実は日ごろからちょっとした気遣いやあいさつ、礼儀を心得ていることを強調する。西氏にしては珍しい散文によって日本人に苦言を呈した。それから三十余年、祖国のマナーはますます低下している。(湯)
                  ◇
 産経新聞「正論」欄の35周年を記念し、当時掲載された珠玉の論稿を再録 2008.12.20
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2008年12月20日

【老いの一喝】何をいまさら川島芳子

ノンフィクション作家・上坂冬子
 川島芳子がテレビ番組になった(6日)。川島芳子とは中国・清王朝が終わりをとげたとき、最後の親王がそれまで親交のあった長野県出身の大陸浪人といわれた川島浪速に、「玩具として」与えたといわれている娘である。


 時として男装をして男言葉を使い、時として振り袖姿となって宴会の華となり、関東軍の将軍の間を縫って華やかな行動で話題を呼んだ風変わりな彼女は、昭和初期に日本のマスコミの格好の話題となったが、戦後に日本軍に協力した漢奸(かんかん)(中国に対する裏切り者)として北京で銃殺された。


 二十数年ほど前、私もそれなりに関心をもち彼女の歴史的役割を調べるべく『男装の麗人・川島芳子伝』(文春文庫)をまとめたが、言動に一貫性がなく単なる目立ちたがり屋にすぎなかったというのが私なりの結論である。世に言う日中間のスパイだとか、清王朝の再興を目指したとか、関東軍の中枢に入り込んでいたことなども伝聞が多く、確かな裏付けはない。清王朝を再興するには資金が必要である。だが当時、資産のすべてを後に日本船舶振興会会長となった笹川良一氏が一族に分配し、芳子にも5000円があてがわれた。おそらく清王朝の再興などこの時点で打ち切られていたのではないか。


 私が前述の書を出版するや、中国の師範大学の教授から翻訳許可の依頼があった。もちろん断ったが、まもなく『男装女諜・川島芳子伝』とタイトルをつけた訳本の一冊が送られてきて辟易(へきえき)した。彼女はスパイなどできる力量のある人物とは思えないと述べた私の本が、女スパイと題して中国で出版されたのである。ただし当時の中国は国際翻訳協定に加盟していなかったので打つ手はない。さらにこの訳本をもとに中国で映画化され、中国人でありながら日本軍の手先となった女として彼女のイメージが喧伝(けんでん)されている。


 日本のテレビ番組も、芳子が日本の傀儡(かいらい)満州国の建国に協力し、清王朝の再興のために献身しつつも日本の敗戦によって漢奸として処刑されたことになっていた。番組として、何を主張したかったのか私としては理解に苦しむ。番組では川島浪速が清王朝の再興のために子供をつくりたいと芳子を暴力的に犯す場面があり、彼女はそれを機に断髪したように描かれていたが、そんな事実はない。何よりも義父の浪速と芳子の年齢差は42歳である。


 実は芳子の実兄は戦後に日本に亡命して東京の郊外に住んでいた。私は元毎日新聞社社長・田中香苗氏の紹介で彼に会い、編集者とともに丸3日間話を聞いたが、芳子は婦人科の手術をして子供の産めない体になっていたという。


 山口淑子(李香蘭)さんは日本国籍だったために漢奸の疑いが晴れて生還できたが、川島芳子も義父の浪速に日本籍を取得した姪(めい)の戸籍の名前を芳子に変えて送ってほしいと懇請している。彼女の自筆のその手紙はいまも残っているが、この事実を記したのは私の著書だけだから番組では無断引用したのだろう。

 
 最近は映像の分野で古い事件や人物を再現する傾向があるが、制作者が若いせいか意図や事実確認が実に曖昧(あいまい)である。たとえ娯楽番組であろうと、これが許されていいはずがない。

産経新聞2008.12.20

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2008年12月17日

【正論】 増殖する韓国の「自尊史観」

                                                          筑波大学大学院教授・古田博司
 ≪「チャングム」のまやかし≫

 近頃、会合で話をすると10人に1人位は韓国時代劇チャングムのファンがいて、物語をそのまま史実だと思いこんでいることが多いので、正しておきたい。まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりはできない。
 ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。中国の清朝でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。
 李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東●『晝永編』)といっている。
 針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。
 ≪歴史教科書にも国内批判≫
 韓国の歴史教科書について、最近では韓国の学者の間でも批判が出始めている。日本がやってきて、せっかく李朝期にあった韓国近代化の芽を摘み、植民地期にひたすら収奪したという論はもはや無理の限界に来ている。批判には、「このような収奪論には実証的な根拠が確実ではないという問題点がある。コメは日本に収奪されたのではなく、経済論理に従って日本に輸出されたのであり、それにともなって日本人を含む韓半島(韓国人は朝鮮半島をこう呼ぶ)全体の所得が増加した」(教科書フォーラム編『代案教科書 韓国近・現代史』2008年3月)と書かれてある。
 振り返れば韓国の歴史教科書もはじめからナショナリズム一辺倒であったわけではない。初期には、日清戦争で「日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(★佐鎬『中等世界史』英志文化社、1959年)とか、朝鮮は清の「半属国」だった(金聲近『高等世界史』高等学校2・3学年用、教友社、1962年)とか、平然と言っていた。
 日本が強制的に保護条約を押しつけたと居直るのは、70年代の中頃からのことで、朴正煕政権の後半、力量を持った民族ではなかったことが被植民地支配の原因だったと、ひそかに反省し始めたときであった。
 ≪利権あさる一部マスコミ≫
 ところが、82年6月26日に日本のマスコミが、教科書検定で日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報を行った。日本ではちょうど検定制度をめぐって政府と日教組が大揉(も)めだったときだ。
 中国・韓国からのはげしい抗議が始まり、結果として近隣諸国条項(1982年11月24日、教科用図書検定基準)が設けられ、その影響で文部省の第6期学習指導要領(1989年告示)で、「とくに朝鮮については我が国と深いかかわりがあり、従前よりもさらに重視するようにする」という但(ただ)し書きがついてしまった。
 反省の機会を失った韓国の歴史教科書は、日本の自虐史観に反比例するように、どんどんと自尊的になり、「しかし日本は帝国主義列強よりもさらに残忍にアジア各国を蹂躙(じゅうりん)し、20世紀の歴史を悲劇で飾った第二次世界大戦を起こした。このような悲劇は日本の朝鮮強占ではじまり、これは隣の国との友好関係を破壊したところにその原因がある」(申チェシク・洪ソンピョ『高等学校世界史』ポヂンヂェ、1990年)とまで、歴史の歪曲(わいきょく)を行うようになっていったのである。

 日本の自虐史観の対照には韓国の自尊史観があるのであり、それはひずんだ鏡のように日韓の関係を歪(ゆが)めてきた。もはやポストモダン期にある日韓では、世論は反日でも贖罪(しょくざい)でも盛りあがらない。盛りあがっているのは、韓国の反日市場で利権をあさり、同じく日本の贖罪市場で利権の維持に汲々(きゅうきゅう)とする、一部マスコミと学者たちにすぎないのではないか。

産経新聞 正論 2008.12.17

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2008年12月05日

【正論】与那国島を第二の対馬にするな

 ≪ようやく政治家が動く≫
 韓国との国境の島・対馬が過疎化と小泉改革による公共事業削減、石油高騰などの影響で深刻な経済困難に陥り、そのスキをつくように、韓国資本が島の土地を買い占めている。地理的に近いことから、韓国の観光客がドッと入るようになり、その数は島民の3倍にも達する。観光地にはハングルがあふれ、さながら韓国国内のような景観を呈している。しかも彼らは、竹島ばかりか対馬までが「韓国の領土」と主張しているというのだ。

 
 本紙は3回にわたる特別企画「対馬が危ない!!」で島の現状を報じた。すると、にわかに自民党の真・保守政策研究会と超党派の国会議員による「日本の領土を守るため行動する議員連盟」が動き出した。近く対馬を現地視察し、「防人の島新法制定の推進議員連盟」を結成して、法整備に向けて具体的に検討することになった。


 わが国周辺海域が隣国からの「脅威」にさらされている。その現実を直視せよと早くから論じてきた筆者には「いままで何をしていたのか」と問いたい思いである。ともあれ政治家がこの問題に関心を向けたことを評価したい。


 しかし筆者が恐れるのは、関心が対馬だけに局限化されることだ。そもそもわが国には、特定の島嶼(とうしょ)に関する振興策はあっても、離島およびその周辺海域の防衛・振興を含めたトータルな施策がない。対馬だけでなく、約6800に及ぶ離島全体、特に「最前線」の島、海、空を重点的に防衛する施策が、今こそ必要なのではないか。

 
≪返還前からの特殊事情≫

 なかでも筆者が竹島や対馬の二の舞いになっては困ると危惧(きぐ)しているのが、日本の最西端の島・与那国島だ。この島は台湾までわずかに110キロである(ちなみに石垣島までは120キロ)。県都の那覇までは400キロも離れている。この島には、他の国境地域の島にはない特異な問題がある。それは、わが国の領土であるにもかかわらず、島の上空に日本と台湾との防空識別圏を区切るラインが通っていることである。


 防空識別圏とは、国の防空上の必要から設定された空域である。国際法によるものではない。だが、異国の航空機が領海上空を侵犯して領土上空に到達するまで、旅客機でも1分程度、超音速軍用機であれば数十秒である。領空侵犯されて対応するのでは手遅れだ。そこで領空の外周の空域に防空識別圏を設け、事前に届け出のない航空機が防空識別圏に進入した時点で、空軍機により強制退去させる措置をとっている。


 スクランブルといわれ、一般には航空機が防空識別圏に進入する恐れがある時点で発動される。それでないと、軍用機の場合には攻撃されてしまう恐れがあるからだ。

 
 ところが与那国島では、台湾との間の防空識別圏のラインが島の上空に引かれているのだ。厳密に言えば、島の東側3分の1は日本、西側3分の2は台湾である。沖縄占領中に米軍が便宜的に東経123度で線引きしたのを、返還の際、日本政府がそのまま引き継いでしまったからだ。


 当時としては、台湾(中華民国)が友好国だからとの単純な理由からであろうか。しかし、日本政府、防衛庁・自衛隊が自国の防衛にいかに無責任であるかは、現在でも自衛隊の航空機が台湾との防空識別圏に近づくことを意図的に避けていることにはっきり表れている。


 ≪自衛隊ですら関心なく≫

 筆者は中国の東シナ海石油開発を取材する中で初めてこの事実を知り、航空自衛隊に問い合わせた。すると「何も問題ありません。あなたは何を心配しているのですか」と相手にしてもらえなかったことがある。


 台湾はれっきとした主権のもとに存在している。わが国の領土である尖閣諸島の領有権を主張して譲らないばかりか、沖縄返還時には、台湾に無断で沖縄を日本に渡したと米国にクレームをつけたことがある。さらにいえば、中国は台湾を自国の領土と主張している。もし台湾が中国に統一されたら、どういう事態になるか、防衛関係者ですら考えたことがないのだろうか。


 馬英九氏が総統に就任し、中国は経済関係の緊密化による台湾との「平和統一」を意図している。与那国島も、対馬と同じように、過疎化と経済的低迷に苦しみ、台湾との経済交流、観光客の受け入れに期待している。


 筆者は先ごろ、与那国島に初めて行く機会を得て、町議会、防衛協会の方々と話をした。島の人たちは、国境の島に対する国家の特別措置と自衛隊の駐屯を強く希望していた。与那国島が「第二の対馬」にならないうちに、手を打たなければならない。  中国軍事専門家・平松茂雄
産経新聞 正論 2008.12.4

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2008年12月04日

旧日本軍に騎士道を見た 救助された漂流英兵、艦長顕彰式に出席へ

 【フルーム(英イングランド南西部)=木村正人】第二次世界大戦中、インドネシア沖の海戦で艦隊が撃沈されて、漂流していた英兵422人を救助した旧日本軍の駆逐艦「雷(いかずち)」の故工藤俊作艦長をしのぶ墓前祭と顕彰式が12月7、8の両日、それぞれ埼玉県、東京都内で開かれる。この戦争秘話を最初に明かした元英海軍士官サミュエル・フォール氏(89)は一連の行事出席のため来日するのを前に、「命を助けてもらった恩返しに日英友好に役立ちたい」と話しており、今回の催しは、旧日本軍の捕虜となった英兵たちと日本側との和解プロセスの一助にもなると期待されている。
                   ◇
 1942(昭和17)年3月1日、現インドネシア・ジャワ島のスラバヤ沖海戦で、英重巡洋艦エクゼターと駆逐艦エンカウンターが旧日本海軍の艦隊に撃沈された。両艦の乗組員らは海に投げ出され24時間漂流。力が尽きる寸前の翌2日、雷に発見された。「幸い海は温かかった。遠くに見えた船影が日本艦とわかった時は機銃掃射を覚悟した」と、エンカウンターの士官だったフォール氏は語る。


 雷では、工藤艦長が艦橋で「戦いが終われば敵も味方もない。全員救助せよ」と命じ、「救助活動中」の国際信号旗が掲げられた。乗組員は縄ばしごや竹ざおで英兵を次々と救助、砲員だった勝又正氏(88)は「目の前で沈んでいく英兵もいた。われわれは220人。甲板は倍近い英兵でいっぱいになった」と語る。


 フォール氏によると、工藤艦長は集められた英士官たちに、「貴官らはよく戦われた。本日は日本海軍のゲストである」と述べ、十分な食料をふるまった。


 救助劇はしかし、フォール氏が87年に米海軍機関誌に「騎士道」と題して寄稿するまで語られることはなく、戦友らは旧日本軍をたたえた氏をいぶかった。


 大戦中、タイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の建設に駆り出された英兵ら連合国軍捕虜5万5000人のうち1万人余までが死亡、英国内では元戦争捕虜らを中心に、戦後40年たった当時も反日感情が強かったからだ。彼らの一部は今も、同じ思いを引きずっている。


 戦後、外交官になり退職していた氏は「戦争はとうに終わった。日英間には真の和解が必要だ」と願い、天皇、皇后両陛下が訪英された98年にも英紙タイムズに同様の寄稿をしている。


 終戦まで3年半近くは旧日本軍の捕虜にもなった。氏はその時の記憶を問われて、「その話はするつもりはない」と口ごもり、さらに促すと「金歯」と呼ばれる旧日本軍の軍曹が「2、3人の捕虜を殴らないと熟睡できない」として捕虜を虐待していた事実を打ち明けた後、涙をぬぐった。


 工藤氏は79年に77歳で他界するまで、救助劇のことは家族にも語らなかった。雷の元航海長、谷川清澄氏(92)は「口が重く、温厚な人だった。きざな言い方をすれば武士道だが、当たり前のことをしただけだから決断した艦長も口外しなかった」と話す。勝又氏によると、姉妹艦の「電(いなずま)」も救助活動を行っており、旗艦の司令官も工藤艦長の決断を承認していたという。


 救助劇を題材に『敵兵を救助せよ』を出版した元海上自衛隊士官の作家、恵隆之介氏は、「工藤艦長が海軍兵学校で薫陶を受けたのは鈴木貫太郎校長(海軍大将)だった」と指摘する。


 大戦末期に首相を務めた鈴木は45年4月、フランクリン・ルーズベルト米大統領の死去を知り、『深い哀悼の意を米国民に送る』との談話を発表、米国に亡命中のドイツ人作家、トーマス・マンが「東洋の騎士道を見よ」と称賛している。

産経新聞 2008年12月2日(火)
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2008年12月02日

昭和正論座 はびこる盗人の「三分の理」

                    文芸評論家村松剛 昭和49年10月28日掲載 

■万引にも罪の意識なく
 
 盗人にも三分の理、ということわざがある。どんな犯罪人にも多少のいいぷんはあり、同情の余地はあり得る、というほどの意味だろう。しかし近ごろはどうやら、その「三分の理」の方が肥大して大手をふっている時代である。犯罪をおかしても、責任は外にあり、社会にあり、社会の「矛盾」とかの力にあって、当人にはない・・・。 
 
 
 先日ある公立中学校の先生から、その中学校の生徒の八割くらいが万引の経験者であるときかされた。東京の、一応「名門」とされている学校である(子供だから盗むのは
主として本とかレコードとか、そんなものらしい)。苦学して教科書さえ買えずに友だちの本を筆写したというようなはなしは、むかしはよくあったし、その結果ついわるいと知りながら手を出したというのでもあれば、まだ可愛気がある。いまの子供たちは、殆どが面白半分である。 

  
しかも彼らには罪の意識がまったくなく、先生がひそかに呼んで叱りつけると、「大企業がわるいことをしてもうけているのに、少少のものをとって何がわるい」というのが多いという。本屋の大企業というのはきいたことがないけれど、そのあたりが子供ということだろうか。  

責任はすべて「社会」に
 ゲバ学生が暴れていたころ、そのひとりにきみたちは自分のしていることがいいと思っているのか、ときいたことがある。「いいとは思わないが・・・」という返事だった。 「しかしこういうおれたちをつくったのは社会なのだから、要するに社会がわるい」

 
 責任はすべて社会にあって、自分にはない。個人の自由などと□では叫んでいても、つまりは責任をとる個人を、みずから消し去っているのである。狐つきのようなゲバ学生のいうことだからと、このときは笑ってすませたが、中学生の力のはなしには、戦慄した。同じ「三分の理」的思考方法が、形を変えて子供にまで流行していることになる。  
 何か犯罪事件が起こると、被告のだれそれを守る会とかいうものができ上るのが、このごろの流行である。

 無実の罪の被告を守るというのなら、むろん結構である。うたがう余地のない犯罪人までが、過去にうけた「差別」や「偏見」を理由に英雄化される。

 
 人種や出身による差別がわるいことは、わかりきっている。しかし、差別されてきたから犯罪を起こしても当りまえというのなら、二千年間差別されて来たユダヤ人や、そのユダヤ人からも蔑視されてきたサマリア人は、人殺しも自由であろう。不当な扱いにもかかわらず、立派に生きた人びとは大勢いるのであって、そういう人たちこそが美しい。  
 だがそんなことをいえば、社会の矛盾を個人の美徳にすりかえる論だという非難が、どうせどこかからとんでくるにきまっている。何しろ生徒に競走をさせることは階級間の矛盾を個人間の問題にすりかえることだといって、子供の駆けっこをやめさせていた日教組の先生たちさえいるのである。
  
「盗泉の水を呑む」のか

 すべてが社会のせいであり、社会の矛盾のせいであるのなら、個人の責任は解消される。そこに道徳ないしは道徳感覚の、発生する余地はない。渇しても盗泉の水を呑まず、などというのはもう古くて、渇しさせる社会の方がわるいのだから、いくらでも呑んでさしつかえない順序になる。


 
東大構内の本屋が万引に悩まされて、ついにガードマンを雇って摘発に乗り出したら、四十一人がつまり、その八割が東大生だったそうである。むかしはなかった性質の事件として、どの新聞も大きな記事として扱っていた。彼らには罪の意識が、やはりまったくないという。

 
 彼らのあとには、すでに述べた中学生の世代がつづいている。青少年の全般をこれをもってはかる気はないが、とにかくこういう青年たちまもなく役人になり、会社員や政治家になってゆくのである。  はなしはちがうが近ごろ「むつ」号の一件ぐらい、見ていて馬鹿馬鹿しく、かつ腹立たしい事件はなかった。

 原子力の時代はすでにきているのであり、およそ新しいエネルギーの開発に遅れた民族がどんな運命を辿るかは、歴史が証明している。日本には、石油資源もない。だからこそ莫大な税金を費消して原子力船をつくったのを、大騒ぎして反対し、ほんのちょっと放射線がもれると原子爆弾でも落ちたような騒ぎである。「ニューズウイーク」誌が、不可解と評しているのにあたりまえだろう。
 
 
政治腐敗にも道徳の欠如
 そのうえ、魚には何の被害もなかったのに、十五億円もの「補償金」を支払いこれを手に入れた方力の代表を英雄扱いしている新聞まであった。よその国から見れば漫画でも、日本ではゴネどくが英雄にされる。

 
 田中金権政治の実態をーーというよりは、たぶんその一端をーー「文芸春秋」誌が明るみに出し、外国の新聞、雑誌にも大きく紹介されて、ようやく田中角栄氏をめぐる「黒い霧」が、ひろい論議の的になりはじめた。ようやくというのは、いままでにもいろいろと取沙汰されながら、なぜ今日まで問題にされなかったか、不可解だからである。田中氏と特別な関係にある女が田中派の金庫番をしていることくらい、周囲の人びとには常識だったはずだろう。

 
 「文芸春秋」誌の記事が事実なら、これほどに汚れきった首相は政治史上かつてない。しかし田中氏に近い政治家は、こういうことが問題になるのなら、徒手空拳、崖に爪を立てるようにして這上った男は首相になれないではないかといったと、ある新聞に出ていた。これには、呆れかえった。生立ちの環境がわるければ、トンネル会社をいくつつくってもうけようと、国民に節約を説きながら軽井沢に三つも別荘をつくろうと、それでいいのか。

 
 責任は環境にあり社会にあり、渇したら盗泉の水を呑めと、政治家もまたいっているのである。道徳感覚の欠如した青少年の発生は、やはり 「社会のせい」ということになるのかも知れない。(むらまつ たけし)
 
【視点】
村松剛氏は昭和44年の立教大学紛争で教授会のだらしなさに腹を立て、同大教授を辞した″硬骨の人々として知られるが、大学生ら当時の若者にも非常に厳しかった。 ここでは、本を万引して「大企業が悪いことをしてもうけているのに、少々のものをとって何が悪い」と居直る中学生や、こういうおれたちをつくった社会が悪い」と責任転嫁するゲバ学生の例を紹介し、すべて社会の矛盾のせいにする当時の青少年の罪の意識の欠如を批判した。そして、「渇しても盗泉の水を呑まず」といった古い道徳の復活を暗に求めた。  若者の凶悪犯罪を格差社会などのせいにする今の評論家らに読ませたい正論だ。(石) 
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