2009年01月27日

イスラム女性の服装

イスラム女性の服装

産経新聞21.1.26
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2009年01月25日

【週刊韓(カラ)から】韓国は「性犯罪大国」? 被害者支援体制も充実

                                                                                     2009.1.25 18:00
 事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる 強姦(ごうかん)などの性犯罪被害にあった場合、病院や警察などで何度も事件について説明させられた揚げ句、法廷での証言の際も被害現場の再現を強いられるなど「第二の性的被害」を受けるケースが多い。こうした問題を解消するため、韓国では応急治療から事情聴取、法律相談までを1カ所で無料で行う警察庁管轄の「ワンストップ支援センター」が整備されている。

 婦人警察官と医療スタッフが24時間常駐しており、センターに駆け込めば即対応してくれ、一度にすべての処置が済むので被害者側の負担も少なくて済む。センターでは性犯罪のほか、校内暴力や家庭内暴力の被害者も扱っており、現在、全国に15カ所開設されており、いずれも病院内に設置されている。うちソウル市内のセンターをルポした。
 センターは、ソウル市郊外にある警察病院内に設置されていた。外来患者らが行き来する玄関を過ぎてすぐ右に曲がった場所にあり、センターの案内はあるが、性犯罪を連想させる表示はなく、被害者がとくに抵抗なく入室できるようになっていた。
 センターに入ると、4、5人の女性職員がおり、うち1人は婦人警察官だった。机が並ぶ事務室の奥には相談室のほか、婦人科の治療機材が設置された応急治療室、陳述録画室・モニター室、ベッドが置かれた被害者安静室、シャワー室があった。
 被害者はまず相談室に入り、担当者に相談した後、応急治療室で医師から診断を受け、加害者から性病や肝炎などの感染病を移されていないかを調べるため、血液検査なども受ける。また、犯人逮捕につながる髪の毛や体液などの証拠品も採取する。
 この際、検査に必要な器具や被害者が身につけていた下着や衣類などを証拠品として保管する袋などが1つの箱にまとめられた「応急キッド」も準備されており、検査もスムーズに行われるように配慮されていた。

 事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる
 続いて、陳述録画室に移動して、NGO(非政府組織)など第三者立ち会いの下、婦人警察官による事情聴取が行われる。この際、被害者が15歳以下(13〜15歳は本人の同意が必要)の場合、事情聴取の様子が録画される。被害に遭った子供たちの心理的負担を少なくするため、本人が出廷する代わりに、録画した内容が公判で被害者の陳述として使用される。

 さらに希望者には法律相談も行っており、センターには登録されている約50人の弁護士が、当番制で被害者の相談に当たっている。
 こうしたセンターができた背景として、性犯罪の場合、被害者側が証言しにくいことや男性の警察官らから何度も聴取され、心理的に負担が大きいため、それを軽減する目的で、2005年8月に開設されたのが始まりだ。
 ソウルにあるセンターには2007年に1年間で約900人の利用があったが、うち99%が性犯罪の被害者だ。昨年は10月末現在で利用者は898人で、うち性犯罪被害者が845人、家庭内暴力が43人、校内暴力が10人となった。
 性犯罪被害者845人のうち42人(4・9%)は、加害者が近親者だった。最近は家族形態の多様化で、母親が再婚した場合など義父から性虐待を受けるケースも増えているという。
 センターの利用者は年々増加しているが、性犯罪件数が増えたためではなく、センターの認知度が高くなり、単に利用者が増えたことが理由だ。
 実は、韓国内で発生する強姦、強制わいせつといった性犯罪は日本よりも多く、米国並みだ。2007年に1年間で、韓国では1万5325件発生し、人口1万人当たり3・16件発生している。日本は9430件で、1万人当たり0・74件。つまり韓国の発生率は、日本の約4倍と高いことがわかった。
 また日韓の性犯罪の件数でとくに差が出たのは、韓国の方が強姦の件数が異常に高いことだ。日本で起きた性犯罪のうち強制わいせつが8割ほどを占め、強姦の件数は1766件(2割程度)だったのに対して、韓国は全体の半数以上を占める8732件と、日本の5倍近くに達した。

事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる
 ちなみに米国の性犯罪の発生は1万人当たり3・09件で、韓国とほぼ同水準だ。ただ韓国の方が性犯罪被害者が周囲の目を気にして被害届を出すケースは米国よりも少ないと予想されるので、実際は米国以上の発生率かもしれない。

 韓国で性犯罪が多い理由として、「男尊女卑や貞節などの儒教的な考えが残る中、性犯罪の場合は加害者よりも被害者の方が社会的に非難を受けるといった風潮がある。そのため被害者が強姦された事実を隠すケースが多く、加害者側はそれを良いことに『どうせバレないから』と安易に考えているためではないか」(警察関係者)という。
 ただ、こうした卑劣な性犯罪者を、韓国の司法当局が野放しにしているわけではない。性犯罪の場合、再犯率が50%と高いことから、前科者や仮釈放者などの足に全地球測位システム(GPS)付きの足輪を装着して、24時間監視する制度も昨年9月から実施されている。
 また、性犯罪者本人が希望すれば、薬品やホルモン治療によって「去勢」する国立の医療施設も今年1月、韓国で初めて開設された。

 韓国では性犯罪の発生が高い分、性犯罪の被害者支援体制や再発防止体制が日本よりもずっと進んでいる。こうした分野で先を行く韓国から日本が学ぶことは多い。ただGPS付き足輪などは、日本では人権侵害などと反対する声が大き過ぎて、導入は難しいだろう。日本には、被害者よりも非道な罪を犯した者の人権をなぜか声高に叫ぶ人たちがいるから…。(ソウル 水沼啓子、写真も)
産経新聞21.1.25

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2009年01月24日

夫婦げんかの頻度

夫婦けんかの頻度
産経新聞21.1.18
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2009年01月23日

全国体力テスト

体力点都道府県別順位
産経新聞21.1.22

中学2年の平均点
読売新聞21.1.22
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2009年01月22日

オバマ大統領の就任演説(全文)

オバマ米大統領、就任演説全文

  ◆危機への決意◆
 市民の皆さん。私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。
 これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。
 ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。
 我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。
 これらは、データと統計に基づく危機の指標だ。予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。
 今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。
 この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。
 この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。

 ◆国家の偉大さ◆
 我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。
 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。
 我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。
 我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。
 我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。
 しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。

 ◆米国再生◆
 これが今日、我々が続けている旅なのだ。米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国再生の仕事に着手しなければならない。
 なすべき仕事は至る所にある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、我々を一つに結び付ける。科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。
 我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。だが、彼らは忘れている。彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。
 皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる。公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。
 問うべきなのは、市場の良しあしでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

 ◆我々の安全とは◆
 我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤(てんびん)にかけるという誤った選択を拒否する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保障する憲章を起案した。憲章は、何世代もの犠牲によって拡充された。これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。今日(の就任式を)見ている他国の国民や政府ら。巨大都市から私の父が生まれた小さな村まで。米国が平和と尊厳の未来を求めるすべての国々、すべての男女と子供の友人であり、我々がもう一度、指導力を発揮していく用意があると、知ってほしい。
 前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。
 我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。

 ◆変わる世界◆
 我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。
 我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。
 我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。米国が、新しい平和の時代に先駆ける役割を果たさねばならないと。
 イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。
 貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。
 我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

 ◆新しい責任の時代◆
 政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。
 我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。
 いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。
 これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。
 これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか。

 ◆自由を未来へ◆
 だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。
 「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」
 アメリカよ。我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。
 そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。そして、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。
 ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

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2009年01月14日

【正論】 ホントは怖い「多文化共生」 埼玉大学教授・長谷川三千子

【正論】 ホントは怖い「多文化共生」 埼玉大学教授・長谷川三千子
                                                                                     2009.1.12
 ≪意味不明な内閣府の提言≫

 ちかごろ「共生」という言葉をよく目にします。内閣府では、平成16年に「共生社会政策担当」という部署ができて「共生社会」の実現を推進中ですし、総務省では平成18年に「多文化共生推進プログラム」の提言がなされて、目下、各地方自治体に多文化共生推進の大号令が下っている−どうやら「共生」はこれから流行(はや)りのスローガンになりそうな勢いです。

 しかしそれにしては、この「共生」という言葉、いまひとつ意味がはっきりとしません。ただ単に「共に生きる」というだけの意味だとすると、われわれ人間は大昔から集団を作って共に生きる生物として暮らしてきたのですから、いまさら共生社会の実現を叫ぶというのも妙な話です。たしかに戦後の日本ではやたらと「個人」の尊重ばかりが強調されてきて、日本文化の特色をなしてきた人と人との間柄の尊重ということが崩れてしまった。これをなんとか建て直そう、というのなら話は分かります。しかし内閣府のホームページを見ると、そういうことでもないらしい。「国民一人ひとりが豊かな人間性を育み」「年齢や障害の有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる」のが共生社会なのだという。いささか意味不明です。

 ≪日本文化は単なる一文化?≫
 これに対して、総務省の「多文化共生推進プログラム」の方は、きわめて狙いが明確です。要するにこれは、近年の外国人定住者の増加という現象にともなって出てきた話だというのです。このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています−「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。

 なるほど、これまで日本人は外国人のすることはみな「お客様」のすることとして大目に見てきたけれど、「住民」だとなればキッチリ地域のルールを守ってもらいましょう。日本語もしっかり覚えてもらって、「ニホンゴワカリマセーン」の逃げ得を許さない、ということですね、と思うとさにあらず。今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。


 つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。

 ≪「棲み分け」の回復こそ≫
 どうしてこんな話がまかり通ってしまったのか。おそらくその鍵は「共生」という言葉にあります。生物学では、異種の生物同士が同一の場所で互いに利益を与えたり害を与えたりしながら生きてゆくことを総称して「共生」と言うのですが、「共生」と聞くとわれわれはすぐ、アリとアリマキのような共利共生を思いうかべてしまう。だから「共生」イコールよいこと、というイメージが出来上がってしまうのです。

 しかし、実際の生物世界の共生は、互いに害を与え合うことすらある苛酷(かこく)な現実そのものです。そして、それにもかかわらず、なんとか多種多様の生物たちがこの地球上を生き延びてこられたのは、そこに或(あ)る平和共存のメカニズムが働いているからであって、それが「棲(す)み分け」なのです。

 これは、かつて今西錦司さんが、同じ一つの川の中でも、流れの速いところ遅いところ、住む場所によってカゲロウの幼虫が違う体形をしていることから思い至った理論です。つまり生物たちはそれぞれ違った場所に適応し、棲み分けて、無用の争いや競争をさけているということなのです。実は人間たちも(カゲロウのように体形自体を変えることはできなくとも)多種多様な文化によって地球上のさまざまの地に適応し、棲み分けてきました。


 それぞれの土地に合った文化をはぐくみ、そこに根づいて暮らす−これが人間なりの棲み分けシステムなのです。ところがいま、この平和共存のシステムは世界中で破壊されつつあります。日本に外国人定住者が増加しつつあるのも、そのあらわれの一つに他なりません。この事態の恐ろしさを見ようともせず、喜々として多文化共生を唱えるのは、偽善と言うほかないでしょう。

産経新聞21.1.12 正論

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2009年01月06日

■【天皇の20年】皇位継承に制度的安定を 小堀桂一郎

■【天皇の20年】皇位継承に制度的安定を 小堀桂一郎

                                                             平成21(2009)年1月1日[木] 

  平成21年といふ新しい年を迎へて、我が国が官民挙げて取り組むべき重要な国家的課題は何々であらうか。是非に且(か)つ緊急に解決しておかなければならぬ懸案は次々と思ひ浮かぶのだが、昨年12月19日に今上(きんじょう)天皇御在位20年奉祝の式典が執行(とりおこな)はれ、本年11月12日には平成2年の即位の御大典挙行から20年目といふ奉祝行事が開催されるといふ予定に鑑(かんが)みても、次の一事こそ本年といふこの機会を捉(とら)へて何とか解決に漕(こ)ぎつけたい喫緊の大事である。

 即(すなわ)ち、平成18年9月6日、秋篠宮家に待望の皇位継承権を保有せられる男児として悠仁(ひさひと)親王殿下が御誕生になつたことは、文字通りに暗夜に曙光のさし初(そ)めた如き慶(よろこび)を国民にもたらしてくれたのであつたが、反面、皇位継承といふ国家最大の重儀の末長い安定をと志して展開されてゐた国民運動の熱気が、御慶事を契機に急速に冷却してしまつたといふ事態がある。

 ≪危機の回避には至らず≫
 顧みれば、平成17年12月に小泉内閣が召集した「皇室典範有識者会議」の面々の統一見解であると伝へられた、国体の破壊を企(たくら)む典範改悪の方向に危険を感じた一部民間有志の研究組織たる「皇室典範研究会」(本「正論」欄の執筆員である大原康男、百地章、八木秀次の諸氏もその成員である)は、度々の声明発表や集会決議を通じて、典範改悪への策謀の阻止を訴へ、警告を発してきた。


 18年2月7日の秋篠宮妃殿下御懐妊の朗報を以(もっ)て、典範改悪の謀議は一朝にして事実上瓦壊したのだが、この会はその後に於(お)いても、皇位継承の危機回避・制度的安定のための最大の鍵は、一皇族男子の御出生のみを以てしては到底覆ひきれない深層に存するとの見解を持して、引続いて特別立法案の研究を進めてゐた。


 この研究は18年秋の悠仁親王殿下御誕生により一般の危機意識が楽観的観測に転回した後にも当初の腹案に特段の変更を加へることなく、数へてみれば平成14年6月以来20年10月に至るまで6年の歳月を費して検討を続けてきた。


 共同研究の成果としての報告書はかなり長く、且つ詳細にわたるものであり、又事の性質上手軽に御紹介はできないが、題して「皇位の安定的継承をはかるための立法案」、その説明として「元皇族の男系男子孫による皇族身分の取得について(案)」といふ文書であるので、その性格を大凡(おおよそ)推知して頂けよう。


 なにぶん一篇の「立法案」なのであるから、報告書をまとめただけでは未だ何事も始動するわけではない。研究会はこれを超党派の組織である「皇室伝統を守る国会議員の会」の世話人方と20年10月下旬に接触の上、報告書についての研究会側の著作権めいたものは一切考慮不要として、文書の含む資料・情報・提案の全てを当該国会議員諸氏の自由な利用に委ね、具体的な立法措置の検討に取りかかつて頂くこととした。謂はば、皇位継承の重儀の制度的安定化といふ重大問題を、歴史的論理的研究の段階を漸(ようや)く通過せしめ、実践的政治的実現の段階へと移行させる準備を辛うじて終へたところである。


 ≪陛下への最大のお慰め≫

 問題は、冒頭に一言した如く、現在の政界があまりにも多事多端で、解決すべき緊要の課題が目前に山積してゐるといふ状況の中で、立法府の議員諸氏がこの様な選挙での得票にはつながり様もない雲の上の問題にどれほど関心を持ち、その政治力を傾注して下さるか、である。


 仄(ほの)かに承るところによれば、今上陛下の御健康状態は必ずしも好転されてをらず、宸襟(しんきん)を悩し奉る御身辺の坎●(かんか)も跡を絶たないといふことである。蒼生(そうせい)の一人として畏(おそ)れながら憂慮に堪へないと言はないわけにゆかない。

 比較的御高齢での即位を果された今上天皇が、既に御在位の期間20年に達せられたといふことは実にめでたい次第であり、昨年中に奉祝式典を企画・実行された人々、本年秋の御即位20周年奉祝行事を予定してゐる民間諸団体、臨時祝日の制定に向けて動いてゐる立法府議員諸氏の祝意に水をさすつもりは毛頭ない。 

 然し、御加齢と御心労による御憔悴(しょうすい)が明らかに看て取れる両陛下にとつて、現在最も肝要なお慰めの料(れう)は、皇室の将来について、制度的にも真の御安心を頂くための法的政治的施策に、少くとも近々に着手することではないのか。あの愛らしい悠仁親王殿下が愈々(いよいよ)御践祚(せんそ)といふ将来の或る日に、周囲に所謂(いわゆる)皇室の藩屏(はんぺい)が皆無といつた状況が生じる可能性は現に有るのだ。そんな深刻な事態を何としてでも避けたい。本年こそその対策に立ち向ふべき決断の秋(とき)である。

産経新聞 21.1.1から引用

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