2009年02月28日

【土・日曜日に書く】共産党が正論を唱えた時期

                                                                         論説委員・石川水穂 2009.2.21 
 ≪社党は韓国発表に疑問≫

 大韓航空機爆破事件(1987年11月)の実行犯、金賢姫元死刑囚と、拉致被害者で金賢姫に日本語を教えた田口八重子さんの家族との面会が近く実現する見通しとなった。
 この事件がソウル五輪妨害を狙った北朝鮮の爆破テロだと韓国捜査当局が発表したのは、21年前の88(昭和63)年1月15日だ。韓国側はこのとき、金賢姫の日本語指導員が拉致された日本人女性で、金正日書記(当時)から「恩恵」という朝鮮人名を付けられたことも明らかにした。発表には金賢姫も同席し、「私はだまされていた」と告白した。
 ここで思い出されるのは、韓国側の発表をめぐる旧社会党(現社民党)と共産党の論争だ。
 当時の土井たか子・社会党委員長は1月21日、来日中の米下院議員との会談で、「北朝鮮がやったといっているが、北にとってプラスになる行為と考えることはできない」と韓国側の発表に疑問を示した。これに対し、共産党の宮本顕治議長は1月22日の党内の会議で「大韓航空機事件は北がやったと確信している」と明言したと、機関紙「赤旗」が24日付1面トップで報じた。
 その後、社会党機関紙「社会新報」が1月26日付で「自白に疑問続出」と金賢姫の供述に疑問を投げかけたのに対し、赤旗は翌27日付で「テロは社会主義国にあるまじき行為」とする朝鮮問題研究者の論文を載せた。
 2月7日、「恩恵」に関するさらに詳しい情報が日韓捜査当局によって発表された。これに社会党が衝撃を受け、執行部の中に「拉致がはっきりすれば断固、北朝鮮に対し抗議すべきだ」という声が出始めたと、翌8日付産経は伝えている。
 その後も社会党内の動揺は続いた。3月7日、同党の井上一成国際局長が民放テレビのインタビューで、大韓航空機事件を「北朝鮮のテロ行為だ」と明言したのに対し、山口鶴男書記長は「国際局長がそのような発言をするはずがない」と反論した。だが、社会党の支持母体である全電通の山岸章委員長は、井上氏の発言を「常識論だ」と支持した。
 ≪梶山答弁を引き出す≫
 一方、共産党は日本政府から重要な答弁を引き出した。
 3月26日午前の参院予算委員会で、共産党の橋本敦氏は産経が昭和55年1月に報じた「アベック蒸発事件」について、竹下内閣の見解を質(ただ)した。これに対し、梶山静六国家公安委員長(自治相)は「昭和53年以降のアベックの行方不明は、おそらくは北朝鮮の(工作員による)拉致の疑いが濃厚だ。今後とも真相究明に全力を挙げる」と答えた。
 このことは産経と日経の夕刊にベタ記事で報じられただけだったが、実は、この梶山答弁は日本政府が拉致事件を北朝鮮の犯行だと公式に認めたものだった。
 当時の日本共産党は、昭和60年11月の党大会で北朝鮮を「覇権主義の一つの野蛮な典型」と批判して以降、北との断交状態が続いていた。こうした政治的な背景があったにせよ、この時期の共産党の活動は評価されてよいだろう。
 その後、共産党は平成12年11月の党大会に朝鮮総連幹部を来賓として招くなど、逆に北との関係修復への動きを強めている。
 ≪金賢姫との面会に期待≫
 田口さんの家族は、長男の飯塚耕一郎さん(32)と、兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(70)らだ。八重子さんが拉致された昭和53年夏、耕一郎さんは1歳だった。繁雄さんに引き取られて育てられたが、生みの母の八重子さんのことは知らされなかった。
 それを知らされたのは、耕一郎さんが21歳のときだ。会社の海外研修でパスポートが必要になり、戸籍を取り寄せたところ、「養子」と書かれていた。育ての親の繁雄さんは、生みの母が八重子さんで、北朝鮮に拉致されて金賢姫に日本語を教えていたことを耕一郎さんに打ち明けた。
 金賢姫との面会の見通しが日韓外相会談で明らかになった今月11日、繁雄さんは「会うことが拉致問題を動かすインパクトになる。八重子のことについて詳しく聞きたい」と話した。
 一方、金賢姫は回想記「忘れられない女」(文春文庫)の中で、「彼女(田口八重子さん)は酒に酔うと招待所の窓の外を眺め『うちの子供はいま何歳かしら?』と言いながら指折り数え、何も知らずに連れてこられた身の上を嘆いた」と書いている。この本には、同じ拉致被害者の横田めぐみさんから日本語教育を受けたといわれる女性工作員「金淑姫」のことも書かれている。
 面会を機に、拉致被害者に関する情報が少しでも増えることを期待したい。
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中国で暴動頻発

中国で暴動頻発
産経新聞 21.2.21

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中国の少数民族差別

中国の少数民族差別

産経新聞 21.2.23
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2009年02月27日

【土・日曜日に書く】アンバランスな議員外交

                                                                   産経新聞 政治部・阿比留瑠比 2009.2.8
◆日中与党協議会の現実

 東シナ海のガス田開発問題、中国製ギョーザ中毒事件など、日中間にさまざまな懸案が横たわる中、今月19日から、第4回日中与党交流協議会が日本で開かれる。両国の与党幹部同士が政治経済、外交のあり方をめぐり意見交換を行い、両国の関係強化を図る目的で、平成18年からほぼ定期的に開催されているものだが…。
 「こんな極端にアンバランスなあり方を続けて、本当に与党交流といえるのか。まるで中国に位負けした朝貢外交ではないか」
 政府関係者はこう憤る。協議会の日本側責任者はそれぞれ党三役の一員である自民党の保利耕輔、公明党の山口那津男の両政調会長が務める。中国の訪日団とは、麻生太郎首相も自民党総裁として会談する予定であるほか、自民党の細田博之幹事長主催の食事会なども催される見込みで、まさに下にも置かないもてなしぶりだ。
 一方、中国側団長は王家瑞共産党対外連絡部長で、「25番目まである共産党幹部の序列外。自民党の役職でいえば、せいぜい国際局長クラス」(日中外交筋)にすぎない。王氏はこの1月、平壌で北朝鮮の金正日総書記に会ったことで注目を集めたが、これも「党の役職の関係で会えただけで、金総書記と特別な関係はない。前任者の戴秉国氏(現国務委員)も会っていた」(外務省筋)という。

 さらに、王氏以外の訪日団メンバーも「中国外務省や商務省の副局長など役人がほとんど」(政府筋)。それぞれの専門分野には詳しくても、日本の与党幹部と日中関係の大局や将来について論じ、話がかみ合う相手ではない。

◆「友好」に平伏する愚

 日本は昭和47年の日中国交正常化以来、過去の歴史への贖罪(しょくざい)意識も働いて「日中友好」という4文字に呪縛(じゅばく)され、その言葉の前で思考停止を続けてきた。
 「日本外交は日中友好至上主義といってもいい。そして友好に反することは何かというと、それはもっぱら中国が決めてきた」
 日中間の戦略的互恵関係を提唱した安倍晋三元首相はこう指摘し、もっと落ち着いた実利的な関係の構築を主張する。だが、国会の現状は「与野党とも相手が中国だとバランスと価値判断を見失い、中身が何かを考えるよりもひたすら友好ムードの演出に走りたがる」(政府関係者)ようだ。
 過去の日中与党交流協議会では、なぜか野党である民主党も歓迎夕食会を開いている。中国の省庁の官僚らを与野党競って接待する姿は、滑稽(こっけい)とすらいえよう。
 親中派として知られた福田康夫前首相が昨年5月、四川大地震の弔問で駐日中国大使館を訪れた際には、こんなエピソードもある。旧知の書記官クラスの大使館員を見つけた福田氏は、親しげに「やあ、元気だった」と話しかけたというのだ。これには「日本国を背負う首相の、公の場での振るまいとしていかがか」(日中外交筋)との声が出ていた。
 日ごろは対中外交姿勢について、マスコミや政治家側に「弱腰だ」と批判されることの多い外務省内からも、「政治家はもっと矜持(きょうじ)を見せてほしい」(幹部)との本音が漏れているほどだ。
◆中国側にも強い危機感
 それでは中国は、日本の政治家が平身低頭しなければ、相手にしてもらえないような強い立場にいるのだろうか。逆に、胡錦濤国家主席は昨年12月に開催された改革・開放路線の30周年記念式典で、こんなあいさつをしている。
 「中国共産党の政権党の地位は永遠でも不変でもないので、党の政権担当能力と先進性を高め、腐敗を防ぎ、全党の団結を維持していかなければならない」
 日中外交筋によると、中国トップが公の場で共産党が政権を失う可能性に言及したことは、ほとんどなく、それだけ党上層部の危機感の強さが表れているようだ。
 中国では今年、都市部だけで1300万人分(うち大卒・大学院卒分が610万人)の新規就労機会の創出が要請されており、そのためにも8%以上の高い経済成長の維持が必要とされている。ところが、国家統計局が1月に発表した2008年の国内総生産(GDP)の実質成長率をみると、昨年10〜12月期(第4四半期)の成長率は6・8%にとどまった。
 また、中国国内では「年間8万7000件のデモや暴動などが起きている」(外務省幹部)といい、胡政権としては、雇用危機や社会不安の矛先が自分たちに向けられることへの恐怖があるのだろう。
 中国にとっても、日本の政治家といつまでも実のない友好儀礼を繰り返している場合ではないはずだ。今後も与党交流を続けるのなら、むしろ日本側から中国に「もっと高いレベルの実力者を頻繁によこすべきだ」と提案するぐらいしてはどうか。
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2009年02月26日

【正論】樺太を露領と認めたのはいつか

                                                               東京大学名誉教授・小堀桂一郎2009.2.17
 ≪首相の決意もむなしく≫

 米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
 2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。
 建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。
 麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
 ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。
 ≪「実効支配」で片づける≫
 何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。


 最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。

 ≪主権感覚の無残な欠如≫
 この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。
 「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。
 金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。
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2009年02月25日

アフガンへの各国の派兵状況

アフガンへの派兵状況

産経新聞 21.2.19
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2009年02月23日

「動乱支那の真相(昭和6年)」

支那人の国民性が理解できる著作を紹介する。 

戦前のチャイナ・ウォッチャー長野朗氏のシナ分析
(読者の声1)宮崎正弘の国際ニュース・早読み 通巻2500号突破、おめでとうございます。
貴誌で紹介されておりました戦前のチャイナ・ウォッチャー長野朗氏の「動乱支那の真
(昭和6年)」読了しました。
とにかく面白すぎです。
緒言の『国民性はかくして生まる』では、「長い間圧政を受けて来た支那の国民は甚だ念の入った嘘付きの習慣が付いた。嘘は弱者の武器で、政治が悪い證據である。」とはじまり、政治編では『妥協的な国民』『凡てを職業化す』と革命の堕落を描き、「蒋介石の蓄財についても支那人は別にこれを問題にせず、蒋介石位の地位になれば、それ位の金を儲けるのは当然だと思っている。」
「国民革命が盛んになったのは失業知識階級を巧く利用したからである。」
「清朝は学生を多く学校に集めることを避け、各々家庭にあって勉学させ、試験の時だけ集めた。これは一緒に集めて置けば不安の因だからである。試験も時務に遠ざかった空疎なものをやらせ、試験に合格したものは四庫全書とか康煕字典とか一生かかってやれないような仕事を押しつけて、学者を世間から隔離して置いたので、三百年近くの太平を保った。」とあるのは台湾の228事件や毛沢東の百花斉放・百家争鳴〜反右派闘争から今に至る知識人弾圧を予見させます。

「凡て何んでも商売化する支那の国民性は、官業をメチャメチャにする。」と塩の専売の例から労働運動・排日でも皆一つの職業になると続き、「示威運動の行列賃が一日五十銭、演説が一回上等一円、下等五十銭、女学生は効果が多いと云うので一円、何を喋っているかと思うと、黄色い声を張り上げて森永のミルクキャラメルには毒が入っているから買うなと云うようなことを云って居る。所が上前をはねる首領株の間に金の分配で内輪喧嘩を始めたりしたが、中には排日の学生首領にして金と名誉と一緒に運動した女学生の美人とをかち得た果報者も居たので、仲々排日も止められなくなった。」
と笑わせますが、ここまででまだ8ページ、この調子で200ページ続きます。

目次は『多面的性格・複雑性・実利主義・戦わずして勝つ・利己主義・出世と金儲け・・・』と中国人の特徴をよく捉えています。「支那人が学問するのは官吏になるのが目的であって、官吏になるのは金儲けにあるのだから、お役人が悪いことをするのが当然である。支那ではお役人が在職中に官金を胡麻化さず清貧であるものを「両袖清風」と云う。
ところが、この清廉と云うのが日本人見たように潔癖の清廉ではなくて、余り無暗に取らないと云うことである。
支那で「清廉の士」と云うのは一割かせいぜい二割以内の限度を越えないものを称するのである。」 
いまでも共産党が思い出したように汚職追放のキャンペーンを行ったりしますが、二割で清廉なら死刑になるような横領は何割位なのでしょうね。

『誅求と中飽(チュンパオ)』
「支那人は官吏だけでなく、あらゆる階級を通じて誅求を行うように出来ている。今日で云えば搾取であって、官吏は軍閥と共に数千年間搾取学を研究し、その蘊奥を極めて居る。」「中飽と云うのは途中で胡麻化すことで、官吏が人民からは金を取り立てながら政府には送らず、途中で自分の懐に入れることだが、其の方法は古くから行われて非常に進歩して居る。」「列国が支那の饑饉に同情して出した金も、多くは災民の手に入らず中途で消え失せる。」 四川の大地震でも援助物資の横流しがありました。

『弱点の利用に巧』
「一度弱者の地位に立ったものは何処まででも凹んで行って、反撃してくると云うことはないから、支那人に一度弱点を示せば、いくらでも押して来る。それは日本人だと或る程度までは、じっと我慢して居るが、いよいよ我慢出来なくなると猛然立って反撃する。こうした日本人の性質が分からないから、日本が多少譲歩的態度に出ると好い気になってぐんぐん押して来る。ここに日支関係の危機がある。」 
このあたりは反日暴動や尖閣・靖国問題を見てもわかります。

『宣伝の天才』
「支那人が喧嘩して居ると、すぐに弥次馬が周囲に黒山を築く、すると喧嘩して居た二人は相手を放って置いて、各々群集の方に向いて自分の方に道理があると云うことを訴える。そして公衆の批判が正当と認めた方が勝ちである。」
「支那の戦争を眺めて居ると、兵力の多寡や強弱よりも、人気のある方が勝つようである。」
「支那人は白を黒と言いくらます理屈の付け方は実に巧いもので、自分の方で散々悪いことをして置いて相手が悪いように言いまくる。議論や文章ではとても敵わないから、気の短い日本人はすぐに支那人を殴りつけると云うことになる。」
「日本人の謙譲は美徳であるかも知れないが、それが一歩を誤れば陰険に見える。自分の欲しいものを欲しくないような顔して、しかも陰でちょいちょいやるから悪い。自己の正当と認める要求は明らかに世界の前に宣言すべきである。」
「支那人は日本人を非常に腹黒く非常な野望を持って居るように誤解して居る。黙った国民とおしゃべりの国民とが隣り合って居るので、中々巧く行かないのである。」

『支那人の義侠心』
「支那のある租界に私の知った日本人のお医者さんがあった。
支那人の間には中々信用があって好い患家を持って居たが、その人は支那人の宅から往診を云って来てもすぐには出掛けない。支那人が日本人の医者にかかるのは、余程悪い時であるから、普通ならば急いで飛んで行くべきだろうが、其のお医者さんは先ず電話で診察料の交渉をやる。それが纏まった所で出掛ける。患家に行ってもすぐに病室に入らずに、先ず応接間に入って、診察料を受け取った所で初めて病室に行く。日本人から考えたら一寸可笑しいようだが、支那ではこれでないと駄目である。日本人は支那人を忘恩の民と云うが、支那人に云わすれば日本人は訳の分からない人間だと云うかも知れない。それは双方の考え方が全然異なって居るからである。」
「支那の現在の要人の中にも、将に殺されそうになった所を日本人に助けられたものが少くない。それが盛んに排日をやる。又昔の恩人に遇うても知ぬ顔しているので、日本人は之を忘恩だと云うが、支那人に云わすれば、恩人顔するようならばなぜ始めから助けてやる時に報酬なり交換条件を持ち出さんか、黙って助けてやったんだから、助けた方は助けたと云うことで満足し、円満に問題は解決して居るではないか、それを今更恩人顔するのは怪しからんと云うのである。」
「支那人の考え方ですれば、何らの報酬もなくて人のために力を尽くすと云うことは有り得ないと考えるだろう。」
対中国ODAに対して、中国政府から感謝の言葉もないと日本側は不満でしたが、これほどまでに考え方が違うのですね。

『賭博心』
「支那人は天性賭博打ちに出来て居る。日本人なら負くればがっかりするし、勝てば逆上(のぼ)せるが、支那人は勝っても負けても急かず焦らず、逆上せず失望せず、平然とやって居る所は偉いものである。」
「以前に北方督軍団が幅を利かして居た頃に、督軍団の会議が始まったとなると、天下の形勢が一変するので、日本の新聞記者等は大騒ぎで会議を注意して居ると、督軍連滅多に集まったことがないのでこの好機とばかり賭博を始める。これ督軍連は自分の省で賭博をやれば、相手は皆部下だから、部下は上官に対しては必ず負けることになって居る。これが一つの賄賂である。そこで相手が本気でなく勝つことに決まって居るので面白くないため、こうして同僚が集まった時に大いにやるので、天津会議の時に、或る男はシャツ一枚になり汗を流して大童になり、或る男は敗けて自分の省に五十万円送れと電報を打ったのが居る。」

この他にも、池で溺れても誰も助けてくれず、銀貨を見せたら6人が助けに来たとか、催情薬が二百余種、金を儲けた結局は女と御馳走に落ち着くと紅楼夢の世界や偽バイアグラの今を思わせます。労働者については体力強健、寒暑病魔に耐え得る。
四億の人口を背後に控え、海外では多く移住を禁止されているが、もし此の禁止が解かれようものなら、支那の苦力群は全世界の労働市場に流れ出すだろう、との予測は現実のものとなりました。
今読んでも内容は全然古くないですね。

今回、同時に借りた朝日新聞社「支那事変写真全輯」に緒方竹虎の序文がありました。
 「・・・今にして想えば、支那は、その欧米依存と日本に対する認識の誤謬と西安事件以後における国内情勢の鬱結から計画的意識的に日本に向って戦争を構えたもので、蘆溝橋はその意味におけるサライェボだったのである。大山大尉事件前後に南京上海を繞る空気、事件勃発に伴う支那軍の何時になく敏速だった機動、それを指令する南京政府の態度が最もよく列国民監視のなかに此事実を語って居る。
 日支事変が斯の如くして計画されたとすれば、これに応戦して起って全支を席捲し、首都南京をすら攻略した日本の地位が、日支事変を劃期として東亜の絶対勢力となることは、真に当然の結論といわねばならぬ。日支事変は『売られた喧嘩』であるが、日本は招かずしてその多年の念願たる東亜安定の機会を握ることを得たのである。支那の欧米依存が破れたことは、日本の指導権の確立されたことを意味する以外の何物でもない。東亜の風雲はなお急であり、時局の前途は遼遠であるが、支那にして旧夢より醒め、列国にしてよく東亜の新情勢を認識するに至れば、日支の共存共栄下に平和繁栄の新天地を啓くことは、日を計えて期し得るのである。」・・・・以下略

まさに「戦わずして勝つ」を上策とする中国と短気な日本、長野朗氏の分析通り『売られた喧嘩』を買ったものの欧米での宣伝は中国に完敗、国際連盟脱退から真珠湾へとつながっていきますが、日本人の性格や当時の社会の雰囲気からして対中・対英米戦を避ける方策は果たしてあったのでしょうか。
長野朗氏の著作の一冊、復刻の話が進められているようですがぜひとも出版していただ
きたいものです。
   (PB生)


(宮崎正弘のコメント)まさにエッセンスをまとめていただいて、これぞシナ学の肯綮。長野朗氏の著作も、大川周明も、内田良平も、小竹文夫も、その観察眼は節穴では無かった。
 ところで長野朗の復刻ですが、依然、ペンディングですが、おそらく夏前に内田良平の復刻が先行すると思います。現代語訳は森田忠明氏の手ですでに昨秋、出来上がり、小生も若干の解説を入れるほか、多くの内田良平研究家が執筆。刊行は展転社から。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成21年(2009年)2月23日(月曜日)参通巻第2504号  から引用

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2009年02月17日

【昭和正論座】■対韓侵攻 第2トンネルを見る

文芸評論家・村松剛 昭和50年5月12日掲載 産経新聞2009.2.7 
  ≪1時間に2万4000将兵≫

 北朝鮮が韓国の国境内に向けて掘ったトンネルを、見せてもらった。
 対韓侵攻用の、トンネルである。日本ではマス・コミがあまり大きく扱わず、知るひとも少ないように思われるので、あえていささかくわしく書いておく。トンネルはこれまでに二本発見されていて、ここにいうのは第二トンネルの方である。
 場所はソウルから東北に、一〇〇キロメートルくらいの地点になるだろうか。自動車と、次にはジープを乗りついで二時間ばかり走ると、一九五〇年の朝鮮戦争当時「鉄の三角地帯」と呼ばれた山あいの盆地に出る。名まえが示すように、ここは有名な激戦地だった。一つの町−−鉄原−−が戦火によってあとかたもなく消え、茫々とした草原と化している。
 はげしい戦いのあとは、この地域がいかに戦略上重要な意味をもっているかを物語る。その戦略上の要地のはずれに、北がわからのトンネルがもう少しで口を開こうとしていたのである。
 朝鮮半島のまんなかを平均四キロメートル幅の非武装地帯が走り、そのまた中央に北朝鮮と韓国との境界線がある。トンネルは境界線の下をくぐって非武装地帯を抜け、韓国がわの守備線にまで達していた。トンネルの高さは平均して二メートル三〇センチくらい、幅は約三メートルだから、ジープは走行可能である。韓国軍の計算ではこれをとおって一時間に二万四千の将兵が、七六ミリ砲を積んだジープとともに地下から湧出(ゆうしゅつ)できるという。
 非武装地帯の両がわは、このあたりは丘陵のつらなりである。トンネルは地底深く掘られていて、丘の下では地表から三〇〇メートル以上にもなる。かたい花崗岩(かこうがん)ばかりの土地であり、掘るのも大変だったろうが見つけた方も尋常の努力ではなかったと思う。


≪韓国内部をにらむ金主席≫  

 北朝鮮がわは第一トンネルが発見されたときと同様に、掘ったのは自分たちではなく韓国である、と強弁した。しかしこれはどう見ても、無理ないいぶんであろう。そもそもトンネルの口が、韓国の前線内部にはないのである。
 地下で何ごとかが行われていることを察知した韓国軍が、アメリカから穿岩機(さくがんき)をとり寄せ、国連軍の許可を得て非武装地帯(韓国寄り)にはいって穴をあけ、小型カメラを地下深く降ろした。四十数回の試掘のうち、七つとか八つとかのカメラがトンネルの存在をとらえ、そこで本格的な穴掘りがはじまったのである。韓国がわからのその探索用の穴の入口は、したがって非武装地帯にある。

 ヘルメットを借りて探索用の穴を降りてゆくと、トンネルの横っ腹に出る(深さはこのあたりで、地表か
ら三〇メートルほどである)。北朝鮮軍は探知されたことに気づき、内部に障害物を構築し地雷を埋伏して去った。韓国方向への行きどまりの岩面には、穿岩用のダイナマイトをつめこむ穴が二十ばかりあけられたままになっている。


 「あと五〇〇メートル掘りすすめば、平原です」と、案内の韓国軍の師団長が説明してくれた。つまりもしも発見されずにトンネルの開穿が進行していたら、一時間に二万四千の兵力が大砲とともに五〇〇メートルさきの平原部分に湧き出し、韓国の国境守備隊を背後から急襲していたことになる。北朝鮮の主席・金日成は、もし韓国内部で叛乱が起こったら、いつでも助けに行くと言明しているのである。


≪「ベトナムの次は」の不安≫  

 この種のトンネルはぜんぶで十個程度掘りすすめられているだろうと、韓国の軍や政府首脳部の人びとはいう。第二トンネルについては、その全長は三、五〇〇メートルに達し、たぶん一九七一年の暮ごろから掘りはじめられた、という説明だった。この説明が正確だとすれば、南北統一についての会談がはじまったのが一九七二年の夏だから、まさに協調会談の最中に北朝鮮は地下に攻撃用のトンネルを掘っていた計算である。

 
 世界を支配しているのは、依然として力である。北ベトナムの正規軍が南を攻撃し、ついにはサイゴンを陥落させたのはどう考えてもパリの平和協定違反だが、世界のどの国もあえてそれを問題にしようとはしないし、まして条約の履行を保障しようとはしない。(南には北の政治をきらって逃亡して来た百万の人びとがいたのである。彼らの運命は、どうなるのだろうか)


 プノンペンとサイゴンとの陥落にとなりのタイはすでに怯えているし、南ベトナムのカムラン湾は、今後ソ連艦隊の軍港になるかも知れない。ベトナムの次は韓国という不安の声は世上高く、じじつ金日成主席はサイゴン政府の滅亡の直前に軍首脳をつれて北京に行っているのである。

 連休を利用してのごく短い韓国旅行だったが、その間に朴大統領とも会ってはなしをきき、こちらの意見も率直に述べることができた。はなしの内容はべつの機会にゆずることとして、大統領が淡々とした口調で説いたことも、南北間の緊張のたかまりだった。


≪均衡欠くマス・コミ報道≫  

 問題は、トンネルだけではないのである。北朝鮮はこれも韓国の首脳部の説明によれば、昨年の秋いらい一八二ミリの長距離砲を三十数門ソ連から輸入し、国境近くの地下陣地に配備している。ソウルは国境から直線距離で四〇キロメートルしかなく、砲弾は首都にとどく。


 韓国はその経済を、GNPのひとり当り五百ドルにまでようやくひき上げた。北朝鮮はその気になれば長距離砲とミサイルとによって、韓国経済の心臓部に打撃をあたえることも可能だろうし、また万一奇襲作戦でソウルを奪われれば、韓国は半身不随となる。韓国の総人口の半分近くが、ソウル周辺に集中している。韓国が緊張するのは、当りまえだろう。

 北朝鮮に関しては明るい面ばかりをもっぱら強調し、韓国の方は暗い独裁国としての面を強調する傾向が、最近のマス・コミにはつよい。まるで北朝鮮の独裁制や貧しさは忘れられているかのようで、これは均衡のとれた報道の態度とはいえない。半島の軍事的な緊張状況も、一衣帯水の日本に不思議なほど伝えられていないのである。
 朝鮮半島の将来は、日本そのものの運命に結びついている。例えば釜山に赤旗がたち、その上かりにカムラン湾がソ連の軍港と化したとして、なお日本はいまのままでいられるかどうか。それを思い、ここにありのままの見聞をしるした。


【視点】
1970年代半ば、朝鮮半島の南北軍事境界線の地下で、北朝鮮が韓国への侵攻用に掘ったとみられるトンネルが相次いで発見された。日本のマスコミが大きく扱わなかったため、村松氏は直接現地へ行き、自分の目で確かめた結果をこの正論欄で詳しく報告した。

 村松氏は、もしトンネルが発見されなかったら、「一時間に二万四千」の北朝鮮軍が韓国の国境守備隊を背後から急襲していた可能性を指摘した。本来、このようなことはマスコミの役目だ。日本の学者やジャーナリストの多くが韓国・朴正煕政権の強権的な手法を厳しく批判しながら、金日成政権の独裁政治にはほとんど目をつむっていた時代のことである。(石)
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2009年02月10日

続Depot(ディポ)31テーマ一覧

20081019日から200924日の間を資料を収録
先代Depot(ディポ)382テーマ一覧 
もあわせてご覧ください。 

2009年02月04日  シビリアン・コントロールとは
2009年02月04日 【正論】政治が自衛官の士気低下招く
2009年01月27日  イスラム女性の服装
2009年01月25日 【週刊韓(カラ)から】韓国は「性犯罪大国」?被害者支援体制も充実
2009年01月24日  夫婦げんかの頻度
2009年01月23日  全国体力テスト
2009年01月22日  オバマ大統領の就任演説(全文)
2009年01月14日 【正論】ホントは怖い「多文化共生」 埼玉大学教授・長谷川三千子
2009年01月06日  ■【天皇の20年】皇位継承に制度的安定を 小堀桂一郎
2008年12月29日 【昭和正論座】再び中国報道について問う 作家 曽野綾子
2008年12月21日 【昭和正論座】「あいさつ」を忘れた日本人
2008年12月20日 【老いの一喝】何をいまさら川島芳子
2008年12月17日 【正論】 増殖する韓国の「自尊史観」
2008年12月05日 【正論】与那国島を第二の対馬にするな
2008年12月04日  旧日本軍に騎士道を見た救助された漂流英兵、艦長顕彰式に出席へ
2008年12月02日  昭和正論座 はびこる盗人の「三分の理」
2008年11月24日 【土・日曜日に書く】悲劇を追い、語り継ぐ人々
2008年11月23日  昭和正論座 自由な日本は良い国
2008年11月21日 【土・日曜日に書く】正攻法だけでは勝てない
2008年11月20日  高校中退の理由
2008年11月17日 木漏れ日の里801テーマ一覧
2008年11月15日 【土・日曜日に書く】■村山談話の検証が不可欠だ
2008年11月05日 北海道内の留学生
2008年11月04日 主な国・地域のネット人口と普及率
2008年11月02日 日本は侵略国家であったのか
2008年10月25日 先代Depot(ディポ)382テーマ一覧
2008年10月23日 【対馬が危ない】(下)生き残りへ苦渋の“歓迎”
2008年10月22日 【対馬が危ない】(中)島民の3倍、韓国から大挙
2008年10月21日 【対馬が危ない】(上)韓国、不動産相次ぎ買収
2008年10月20日 中国の少数民族支配と搾取には共通のノウハウ
2008年10月19日 【正論】またぞろ“A級戦犯”分祀論が
2008年10月19日 2代目Depotの登場   
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2009年02月04日

シビリアン・コントロールとは

『基礎からわかる文民統制』
文民による政治が軍隊コントロール

 文民統制とは一般的に、文民による政治が軍隊を統制する原則のことを言う。 軍隊は国の平和や独立を守り、国民の安全を確保する実力組織だが、統制を誤ると、国民が危険にさらされる恐れがある。このため、日本を含む各国では軍の政治介入を防ぐとともに、軍を活用する観点から、文民統制を確保する仕組みを整備してきた。

 2008年版防衛白書は文民統制について、「軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的な政治統制を指す」と説明し、 「わが国の場合、終戦までの経緯に対する反省もあり、自衛隊が国民の意思によって整備・運用されることを確保するため、旧憲法下の体制とは全く異なり、厳格な文民統制の諸制度を採用している」と強調している。 まず、憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」 (66条2項)と規定。

 そのうえで、政府は「文民」について、「(ア)旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの(イ)自衛官の職に在る者−以外の者」(内閣法制局作成資料)としている。 戦前は、武官が首相や閣僚を務めたことがあったが、今は自衛官は防衛相を含め、閣僚になることはできないというわけだ。 防衛省の次官、局長をはじめとする内部部局の事務官らは法律上、「自衛隊員」ではあるが、制服組の「自衛官」ではないため、文民と位置づけられる。実際、防衛相を補佐する立場から、内閣官房や他省庁との政策調整や国会答弁を担ってきた。 ただ、文民統制上の位置づけは定かではない。 石破茂・元防衛相は昨年12月の参院外交防衛委員会で、「背広(事務官ら)であれ、制服であれ、国民に対して直接責任を負い得る立場にない。文民統制の主体だとは思っていない」と述べ、統制する側ではないとの考えを示した。
 
 また、増田好平防衛次官は13日の記者会見で、「私も防衛省の一員であり、統制の対象という言い方もできるのかなと認識している」と述べた。
 一方、外国に目を向けると、英国では、文民統制の制度は、議会が絶対君主の王権を制限する立憲主義を確立する過程で形作られたと言われている。英国は名誉革命後の1689年の 「権利章典」で、平時に議会の承認なしに常備軍を徴集し、維持することは違法と定め、軍に対する議会の統制を規定した。

 1787年に制定された米国の憲法や、1791年制定のフランス憲法でも、それぞれ文民統制の規定が明記された。独立宣言を起草した米国の第3代大統領ジェファーソンは1801年の就任演説で、「軍部に対する文民の優越の確立・維持」と語り、米国の文民統制の基本となっている。 現在、先進諸国では、議会が国防に関する重要事項を議決し、大統領や首相が国防の最高責任を負い、文民統制を確保する点で共通している。ただ、その仕組みは一様ではない。


■運用基準明確性欠く
 Q問題点は

 自衛隊に対する文民統制は、様々な仕組みで行われている。主体となるのは国会、内閣、防衛省(相)の三つの機関だ。
 国権の最高機関である国会は、法律や予算の議決で自衛隊の定数や組織、装備品などを決定する。国会での議論は、自衛隊の能力だけでなく、防衛の基本方針にも影響を与えるため、国会は「文民統制の要」と位置づけられてきた。 防衛出動や治安出動、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく海外派遣なども国会の承認事項だ。自衛隊による無制限の活動を抑制する役割も担う。

 自衛隊は、首相が閣僚を通じて指揮監督する行政組織の一つだ。ほかの省庁と同様、文民である首相が最高の指揮監督権を有することになる。さらに、内閣には、関係閣僚が主要メンバーの「安全保障会議」が設けられ、国防に関する重要事項が審議される。 防衛相が文民統制を維持するための「究極の手段」 (防衛省幹部)が、自衛隊法に基づく自衛官に対する人事権の行使と言える。田母神氏の論文問題でも、浜田防衛相はただちに同氏を更迭し、「これこそ文民統制だ」と説明した。
 さらに、防衛省は訓令で、武器使用などの部隊行動基準(ROE)を防衛相の承認事項としている。これにより、防衛相は緊急事態で自衛隊がとる行動をあらかじめ把握し、時に厳しく抑制することも可能になる。

 自衛隊に対する文民による統制は事細かで、日本の文民統制は制度としては、かなり整っていると言われている。 ただ、田母神氏の論文のケースでは、「どういう言
動か文民統制上、問題になるのか」という制度を運用する基準のあいまいさを指摘する声も出た。 今回、問題視されたのは、@職務に関する意見を外部に発表する際、事前に書面で届け出ることを定めた防衛省の内規に反して、論文を発表したA歴史認識などで政府見解と異なる意見を公にしたIといった点だ。

 論文発表の手続きに関しては、田母神氏は11日の参院外交防衛委員会での参考人質疑で、「論文は歴史研究の成果として書いた。職務に関係していないので通知しなかった」と主張した。政府見解との関係については、「政府見解で言論を統制するのはおかしい」などと述べた。
 防衛省内では、「自衛隊の運用について発言した栗栖氏と違いヽ田母神氏は独自の歴史認識を披露しただけなので、懲戒処分の審理をしても、免職にはできなかったのではないか」との見方もくすぶっていた。

  しかし、元陸上自衛隊北部方面総監の志方俊之帝京大教授は「自衛隊内で影響力が大きい上級指揮官にとって、歴史認識は職務のうちだ」との見方を示す。麻生首相も13日の同委員会で、「空幕長となると、公の場で政府見解と違った発言をすることは制限されざるを得ない。それがいやなら、任務に就くべきでない」と明言した。

  こうした認識のずれを解消するためにも、今後は文民統制にかかわる具体的な事例の分析も必要になると見られる。浜田防衛相は11日の同委員会で、「(自衛隊員が外部に意見を発表する際の手続きの)基準は明確であるべきだ。しっかりとした基準を作りたい」と答弁した。


■過去にも混乱

 日本では、過去にも、文民統制のあり方が大きな議論になったことがある。 代表的なケースは、1965年の「三矢研究」と、1978年の栗栖弘臣統合幕僚会議議長の解任事件だ。 三矢研究は、防衛庁の統合幕僚会議事務局が63年に行った「昭和38年度統合防衛図上研究」のことだ。朝鮮半島有事が日本に波及する事態を想定し、自衛隊の防衛出動や戦時立法などを研究した。
 
 2年後に社会党が国会で取り上げるまで、佐藤栄作首相も知らされていなかったため、野党は「制服組の独走」などと追及した。防衛庁は「政府が計画や方針を決定するためではなく、単なる研究だ。研究の結果、何らかの措置が必要なら防衛庁長官に要望が行われ、長官がその処理を判断する。文民統制は確保されている」との見解を示したが、国会審議は紛糾し、有事法制整備が遅れる大きな原因となった。

 解任事件は、栗栖氏が週刊誌のインタビューで、、 「(日本が奇襲攻撃を受けた場合、自衛隊の)現地部隊はやむにやまれず、超法規的行動をとることになるでしょう。法律がないから何もできないなどと言っちゃいられないような事態が将来、起こりえる」と発言したことが発端となった。 有事法制の必要性を指摘するものだったが、当時の金丸信防衛長官は「真意はともあれ、自衛隊が現行法制を無視して行動する可能性があるかのごとき誤解を与える」として議長を解任し、栗栖氏は勧奨退職に応じた。

 ただ、栗栖氏も発言が不適切とされながち、懲戒処分は行われなかった。幹部自衛官が発言を理由に懲戒処分を受けたのは、過去に1例しかない。1992年、陸上自衛隊高射学校の戦史教官だった柳内伸作3佐の「クーデター」論文問題だ。柳内氏は週刊誌に、「(政治腐敗を)断ち切るにはどのような手段があるか。革命かクーデターしかありません」と、自衛隊によるクーデターを容認するような論文を寄稿。防衛庁は「品位を保つ義務に違反した」として、懲戒免職処分とした。

■「背広組による統制」と曲解
Q導入の経緯

 日本はどのような経緯で文民統制を導入し、現在に至っているのだろうか。戦前、日本は軍の最高指揮権である統帥権が議会から独立し、軍事に対し、内閣や国会という政治の統制が及ばなくなってしまい、旧陸海軍の独走を許す結果となった。この反省から、1950年に自衛隊の前身である警察予備隊を創設する過程で取り入れられたのが、欧米にならった文民統制だ。

 だが、その経緯は複雑怪奇なものだった。連合国軍縮司令部(GHQ)の指示で、政府は予備隊創設に取りかかったが、その構想は、予備隊トップの長官以下全員がユニホーム(制服)を着て、7万5000人の部隊を指揮監督するシステムだった。 ところが、この構想に在日米軍事顧問団の幕僚長だったフランク・コワルスキー大佐
らは「シビリアンコントロールの見地からいって認められない」と猛反対した。
 この時初めて、政府の担当者は「シビリアンコントロール」という言葉を耳にしたという。その時の模様は、防衛法制史の権威で、元陸将補の宮崎弘毅氏(故人)が、11年前に当時の防衛庁で講演した資料に詳しい。


 「米顧問団からシビリアンコントロールと聞かされた時、通訳は『文官統制』と訳した。文民という言葉など知らず、旧事時代の武官(軍人)と文官(官僚)のことだと思ったからだ。ところが、当時の内務官僚(後の防衛次官)がこの訳語に飛びついた。予備隊本部に配属される100人の官僚が、制服をコントロールすることと都合良く解釈した。その後、それがいつの間にか定着してしまった」 この結果、わが国においては、本来「政治による軍の統制」であるはずのシビリアンントロールが、長い間、防衛省の官僚(背広組)が自衛隊を統制することとされてきた。現在に至ってもなお、防衛相を補佐するスタッフである防衛省内局の課長以上の主要ポストに、自衛官が就いていないなど、他国に例を見ない形が続けられてきた。
 戦後日本的なシステムとも言えるが、このシステムが温存されてきたのは、予備隊創設時の経緯だけではない。そもそも日本国憲法は「戦力」を持だないと明記しているため、軍隊を統制するための詳しい仕組みが必要なかった。

 このため、66条2項で大臣について文民規定を設けているほかは、憲法にはシビリアンコントロールにかかわる規定はない。欧米では、議会に軍事に閲する基本権や統帥権があることが、憲法で規定されているのと比べて大きな違いだ。

      ◇
 読売新聞20.11.14、編集委員・勝殷秀通、政治部・中山詳三、一志磨力が担当

文民統制の流れ

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【正論】 政治が自衛官の士気低下招く

                                                              平和・安全保障研究所理事長 西原正 2009.2.3 
  ≪憲法上の地位への不満≫

 最近、幹部自衛官(制服組)と接触する中で、彼らの士気が低下しているのに気付く。この1年ほど、イージス艦の機密漏洩(ろうえい)、護衛艦「あたご」の漁船衝突、田母神発言など問題が相次いだ。だが制服組の不満は、そうしたことで非難されること以上に、政治家が自分たちの任務、苦労を理解しようとしていないということに基づくと聞く。

 こうした不満をそのままにしておくことは、自衛官の士気を下げ、ひいては国防の根幹をなす自衛隊の組織の弱体化を招く。どこの軍隊も、国民およびその代表(行政府や議会議員)の強い支持と激励がなければ、犠牲を伴う困難な任務をやろうとする気にはならない。武人はなによりも名誉を尊ぶのである。
 彼らの不満の第1は自分たちの憲法上の地位である。自分たちは果たして「軍隊」なのか、という根本的なところで、自民、公明、民主各党の政治家がいつまでたっても明確な解答を出そうとしない点である。その怠慢が自衛官の心情を傷つけているのだという認識が政治家にほとんどない。誠に遺憾である。

 ≪「非戦闘地域」での誤解≫
 第2に、陸上および航空自衛隊員らが派遣されたイラクの現場を、政治家が「非戦闘地域とは安全なところ」と単純に思い込んでいることへの不満がある。イラクに派遣された部隊は、イラク特措法によって「非戦闘地域」での困難な任務を与えられた。その任務を見事に達成し、しかも一人の犠牲者も出さずに全員無事に帰還した。

 しかし、「非戦闘地域」とは単に戦闘行為が行われていない地域というだけで、実際は少なからず危険があったのである。
 それがために、陸自派遣部隊のキャンプは工夫を凝らした防護態勢をとっていた。事実、キャンプに不審弾が着弾したことが何回かあった。空自の場合も、バグダッド空港などでは離着陸直前の低空飛行の際に地上からのロケット砲攻撃を受ける危険に対処するため、急上昇ないし螺旋(らせん)形急降下による離着陸を行っていた。

 これは高度の操縦技術を要するといわれる。これを5年間にわたり、一度も攻撃に遭わずに八百余回行ったのである。制服組は、「訓練の成果と任務への旺盛な完遂意欲の成果」だといっても、政治家がこのことに理解を示さないことに不満をもつ。

 ところが、攻撃を受けた際の野党の反応は「非戦闘地域ではなかったではないか、法律違反だ」と政府を非難していただろう。政府からは自衛隊の情勢判断ミスを咎(とが)められたかもしれない。これを恐れて、自衛隊はイラクでの苦労話をあまり広報しなかった、という。これがかえって政治家の理解を不十分にさせてしまった側面もある。

 ≪武器使用基準への無理解≫
 第3に、制服組には、自分たちの任務に課せられた「不合理な」武器使用基準を、政治家が不合理と思っていないという不満がある。
 アフリカ・ソマリア沖の海賊取り締まりのために自衛艦を派遣する準備が進められている。政府は、新法が制定されるまでは、自衛艦の任務を自国船関連のみの保護に限る方針のようである。

 また自衛艦には、危険が迫っているときにも「正当防衛」が明白でなければ、海賊や海賊船を直接攻撃できないし、海賊の捕捉もできないという武器使用基準を適用しようとしている。
 政府は新法を用意して、他国船の保護や海賊への攻撃・捕捉が可能になるようにしようとしている。だが、公明党や民主党の反対を受けて、武器使用基準を厳しいものにせざるを得ないであろう。

 しかしその結果、自衛艦の行動にタガをはめすぎた不合理な法律をつくることになるとは、どの政党も思わないだろう。それでは派遣された自衛艦が海賊船に逆に拉致されるといった笑えない事態も起きないとはいえない。

 他国船が保護を要請してきたときに、自衛艦は「新法ができるまでは、自分たちの任務でない」として最低限の協力しかしないのか。そんな警備行動は国際的には通じないし、何よりも当の自衛官たちは面目を逸し、当惑するだけである。

 政治家は、制服組の理にかなった不満に一刻も早く応えるべきだ。不満を持たせたままにしておくのは、きわめて不健全である。政治家が彼らの苦労を理解し、激励することを求める。彼らがすすんで任務を果たせるような政治的環境をつくらなければ、国防に命を賭ける気がしなくなるであろう。
 自衛隊は軍隊であるとの政治判断によって制服組に誇りを与えることこそがシビリアン・コントロール(文民統制)の第一歩である。
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