2009年02月17日

【昭和正論座】■対韓侵攻 第2トンネルを見る

文芸評論家・村松剛 昭和50年5月12日掲載 産経新聞2009.2.7 
  ≪1時間に2万4000将兵≫

 北朝鮮が韓国の国境内に向けて掘ったトンネルを、見せてもらった。
 対韓侵攻用の、トンネルである。日本ではマス・コミがあまり大きく扱わず、知るひとも少ないように思われるので、あえていささかくわしく書いておく。トンネルはこれまでに二本発見されていて、ここにいうのは第二トンネルの方である。
 場所はソウルから東北に、一〇〇キロメートルくらいの地点になるだろうか。自動車と、次にはジープを乗りついで二時間ばかり走ると、一九五〇年の朝鮮戦争当時「鉄の三角地帯」と呼ばれた山あいの盆地に出る。名まえが示すように、ここは有名な激戦地だった。一つの町−−鉄原−−が戦火によってあとかたもなく消え、茫々とした草原と化している。
 はげしい戦いのあとは、この地域がいかに戦略上重要な意味をもっているかを物語る。その戦略上の要地のはずれに、北がわからのトンネルがもう少しで口を開こうとしていたのである。
 朝鮮半島のまんなかを平均四キロメートル幅の非武装地帯が走り、そのまた中央に北朝鮮と韓国との境界線がある。トンネルは境界線の下をくぐって非武装地帯を抜け、韓国がわの守備線にまで達していた。トンネルの高さは平均して二メートル三〇センチくらい、幅は約三メートルだから、ジープは走行可能である。韓国軍の計算ではこれをとおって一時間に二万四千の将兵が、七六ミリ砲を積んだジープとともに地下から湧出(ゆうしゅつ)できるという。
 非武装地帯の両がわは、このあたりは丘陵のつらなりである。トンネルは地底深く掘られていて、丘の下では地表から三〇〇メートル以上にもなる。かたい花崗岩(かこうがん)ばかりの土地であり、掘るのも大変だったろうが見つけた方も尋常の努力ではなかったと思う。


≪韓国内部をにらむ金主席≫  

 北朝鮮がわは第一トンネルが発見されたときと同様に、掘ったのは自分たちではなく韓国である、と強弁した。しかしこれはどう見ても、無理ないいぶんであろう。そもそもトンネルの口が、韓国の前線内部にはないのである。
 地下で何ごとかが行われていることを察知した韓国軍が、アメリカから穿岩機(さくがんき)をとり寄せ、国連軍の許可を得て非武装地帯(韓国寄り)にはいって穴をあけ、小型カメラを地下深く降ろした。四十数回の試掘のうち、七つとか八つとかのカメラがトンネルの存在をとらえ、そこで本格的な穴掘りがはじまったのである。韓国がわからのその探索用の穴の入口は、したがって非武装地帯にある。

 ヘルメットを借りて探索用の穴を降りてゆくと、トンネルの横っ腹に出る(深さはこのあたりで、地表か
ら三〇メートルほどである)。北朝鮮軍は探知されたことに気づき、内部に障害物を構築し地雷を埋伏して去った。韓国方向への行きどまりの岩面には、穿岩用のダイナマイトをつめこむ穴が二十ばかりあけられたままになっている。


 「あと五〇〇メートル掘りすすめば、平原です」と、案内の韓国軍の師団長が説明してくれた。つまりもしも発見されずにトンネルの開穿が進行していたら、一時間に二万四千の兵力が大砲とともに五〇〇メートルさきの平原部分に湧き出し、韓国の国境守備隊を背後から急襲していたことになる。北朝鮮の主席・金日成は、もし韓国内部で叛乱が起こったら、いつでも助けに行くと言明しているのである。


≪「ベトナムの次は」の不安≫  

 この種のトンネルはぜんぶで十個程度掘りすすめられているだろうと、韓国の軍や政府首脳部の人びとはいう。第二トンネルについては、その全長は三、五〇〇メートルに達し、たぶん一九七一年の暮ごろから掘りはじめられた、という説明だった。この説明が正確だとすれば、南北統一についての会談がはじまったのが一九七二年の夏だから、まさに協調会談の最中に北朝鮮は地下に攻撃用のトンネルを掘っていた計算である。

 
 世界を支配しているのは、依然として力である。北ベトナムの正規軍が南を攻撃し、ついにはサイゴンを陥落させたのはどう考えてもパリの平和協定違反だが、世界のどの国もあえてそれを問題にしようとはしないし、まして条約の履行を保障しようとはしない。(南には北の政治をきらって逃亡して来た百万の人びとがいたのである。彼らの運命は、どうなるのだろうか)


 プノンペンとサイゴンとの陥落にとなりのタイはすでに怯えているし、南ベトナムのカムラン湾は、今後ソ連艦隊の軍港になるかも知れない。ベトナムの次は韓国という不安の声は世上高く、じじつ金日成主席はサイゴン政府の滅亡の直前に軍首脳をつれて北京に行っているのである。

 連休を利用してのごく短い韓国旅行だったが、その間に朴大統領とも会ってはなしをきき、こちらの意見も率直に述べることができた。はなしの内容はべつの機会にゆずることとして、大統領が淡々とした口調で説いたことも、南北間の緊張のたかまりだった。


≪均衡欠くマス・コミ報道≫  

 問題は、トンネルだけではないのである。北朝鮮はこれも韓国の首脳部の説明によれば、昨年の秋いらい一八二ミリの長距離砲を三十数門ソ連から輸入し、国境近くの地下陣地に配備している。ソウルは国境から直線距離で四〇キロメートルしかなく、砲弾は首都にとどく。


 韓国はその経済を、GNPのひとり当り五百ドルにまでようやくひき上げた。北朝鮮はその気になれば長距離砲とミサイルとによって、韓国経済の心臓部に打撃をあたえることも可能だろうし、また万一奇襲作戦でソウルを奪われれば、韓国は半身不随となる。韓国の総人口の半分近くが、ソウル周辺に集中している。韓国が緊張するのは、当りまえだろう。

 北朝鮮に関しては明るい面ばかりをもっぱら強調し、韓国の方は暗い独裁国としての面を強調する傾向が、最近のマス・コミにはつよい。まるで北朝鮮の独裁制や貧しさは忘れられているかのようで、これは均衡のとれた報道の態度とはいえない。半島の軍事的な緊張状況も、一衣帯水の日本に不思議なほど伝えられていないのである。
 朝鮮半島の将来は、日本そのものの運命に結びついている。例えば釜山に赤旗がたち、その上かりにカムラン湾がソ連の軍港と化したとして、なお日本はいまのままでいられるかどうか。それを思い、ここにありのままの見聞をしるした。


【視点】
1970年代半ば、朝鮮半島の南北軍事境界線の地下で、北朝鮮が韓国への侵攻用に掘ったとみられるトンネルが相次いで発見された。日本のマスコミが大きく扱わなかったため、村松氏は直接現地へ行き、自分の目で確かめた結果をこの正論欄で詳しく報告した。

 村松氏は、もしトンネルが発見されなかったら、「一時間に二万四千」の北朝鮮軍が韓国の国境守備隊を背後から急襲していた可能性を指摘した。本来、このようなことはマスコミの役目だ。日本の学者やジャーナリストの多くが韓国・朴正煕政権の強権的な手法を厳しく批判しながら、金日成政権の独裁政治にはほとんど目をつむっていた時代のことである。(石)
posted by Depot at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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