2009年05月09日

【正論】 恥ずかしい国に住んでないか

                                                      2009.5.8   筑波大学大学院教授・古田博司
 ≪日本の世界史的役割に目を≫

 もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。中国には海を奪われ、油田をかすめ取られ、毒食を送りこまれて知らぬ顔の半兵衛を決めこまれ、国連で常に妨害され、韓国には島を占拠され、野球のWBCのマウンドに太極旗を立てて侮辱され、北朝鮮には人さらいをされ、ミサイルを発射され、これら特定アジアからそろって偽史まで強要されている。そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか。

 
 海の向こうには三種一様の国がある。日本軍と戦わずしてアメリカに解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の人たちが日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)。これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権をおかし、侵略をしつづけることであろう。


 日本がかつて彼らに悪辣(あくらつ)なことばかりしてきた、などという進歩的文化人や良心的知識人のウソを、いつまでご託宣のように信じているのだろうか。日本は彼の地を征服し、近代の民法典や私有財産制を移植した。仏人にそういうと、「なんだ。ナポレオン・ボナパルトではないか」との答えが返ってきた。日本の世界史的役割とは、案外そんなものだったのかもしれない。日本が敗れてからは、それらの遺産を活用した韓国は栄え、払拭(ふっしょく)して社会主義を始めた中国や北朝鮮は、あるいは遅れ、あるいは衰えていったのであろう。


 ≪独裁国家同士による大団円≫

 時代は変わって、いまや世界は四つの国家群に分けることができるようになった。進歩主義は幻想となり、静的に四群が並存するだけの世界である。いわく、資本主義も民主主義もできる国、資本主義はできるが民主主義ができない国、資本主義も民主主義もできない国、何もできない国、以上である。後ろの三つは大体独裁国であるから、いかに人間存在が独裁好きかということがよく分かると思う。独裁国家は民主主義を排除するために、陰に陽に協力し合う。


 4月5日の昼、北朝鮮のミサイルの脅威が日本列島に躍りかかった。ミサイル実験のデモンストレーションは武器の販路を広げ、北朝鮮製の装甲車やロケット弾を積んだ偽装船舶はさらにインド洋を北上することであろう。結局、国連での事後処理は民主主義国家に脅威を与えたい中国やロシアにまかされ、独裁国家同士の大団円となって終わった。なぜ我が国民は怒り、立ち上がろうとはしないのだろうか。


 今年からグーグル地図が一部更新され、北朝鮮の火力発電所が盛大に煙を上げているのが上から見られるようになった。プルトニウム開発の寧辺から河をはさんだ南方に北倉火力発電所がある。そもそもソ連の技術援助で1982年に完成したもので、出力が150万キロワットもあるが、長い年月で老朽化していた。2007年6月、ここに国家科学院と、機械工学研究所の研究員が入り、再開発の意図がはじめて明らかになった。


≪良好な北のエネルギー事情≫

 
 7月には、電力工業省傘下の火力発電局の担当が降りていき、8月には灰処理基本工事を完成、11月からはボイラーとタービンの大々的な補修が報じられた。12月には、北倉郡の近隣で各出力20万キロワットと推定される安州市の清川江と、順川の火力発電所のボイラー並びに発電設備の補修が同時進行中であることも報じられた。


 以後、北倉は手厚い支援を受け、08年3月にはボイラーに重油が入っていることが確認され、4月には「工業試験所の技術者たちはボイラーに新しい重油供給装置を全面的に取り入れ燃料効率を高めた」と労働新聞(4月29日付)に載る。


 のみならず、先の火力発電所群と同じ北緯39度から40度の間で、元山、金野江、水洞区、寧遠などに、水力発電所が次々に建設された。元山では4基計8万キロワットの水力発電所が、金野江では写真から30メートル級のダムが建設され、寧遠では発電機、タービン、変圧器など新しいものが次々と搬入されていると去年の6月に報じられたが、いまグーグル地図を見ると、中型のダムをそこに認めることができる。目下、北朝鮮のエネルギー事情は良好であり、ウラン濃縮のためには万全の体制が整ったと言えよう。


 現在中国は、外貨備蓄を米国債の購入に充てアメリカに無言の圧力をかけるとともに、北朝鮮のエネルギー開発を援助することにより、日本に有形の脅威を間接的に与えている。資本主義はできるが民主主義ができない国々がテロ国家を番犬のように使い、影響力を世界に拡大しようとする戦略は、かつては社会主義で貧乏だった大国が、昔の野望を実現できるようになったということだけなのかもしれない。

posted by Depot at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

グルカ兵 悲しき歴史・・・光を

元グルカ兵、永住権を要求 「国のために戦った兵士を切り捨てるのか」 英政府、待遇改善へ
                                                産経新聞 2009.5.4
 
グルカ兵.jpg 

 【ロンドン=木村正人】英軍で長年戦ってきたグルカ兵の退役軍人全員に、英国での永住権を認めるべきだとする野党の動議が英下院で可決された。英政府は1997年以前に退役したグルカ兵の永住権を原則として認めておらず、元グルカ兵は「命懸けで戦った兵士を切り捨てるのか」と永住権の付与を訴えてきた。動議には法的拘束力はないが、ブラウン政権が対応を迫られるのは必至だ。

 この動議は野党第2党・自由民主党から「英国は元グルカ兵の貢献に報いるべきだ」として提出され、最大野党・保守党も同調。4月29日の下院で与党・労働党からも造反28人、棄権約80人が出て、21票差で可決された。ブラウン政権が法案などの採決で敗北するのは2007年6月の就任以来初めて。


 忠誠心の高さと勇猛果敢な戦いぶりで知られるグルカ兵が英軍部隊に組み込まれたのは、大英帝国とネパールの間で起きたグルカ戦争(1814〜16年)がきっかけ。ネパールのグルカ兵に苦しめられた英軍は戦後、ネパールに圧力をかけグルカ兵を雇い入れた。英軍内のグルカ兵は最大時に11万2000人に達し、現在も英ケント州を拠点に3500人が任務に就く。

 
 1997年に香港が中国に返還されるまで、グルカ兵部隊の拠点は英領・香港にあった。このため英政府は、返還前に退役したグルカ兵と家族については「香港に居住し英国とのつながりは薄い」として、英国での永住権を与えなかった。永住を希望したのに却下された元グルカ兵は3万6000人にのぼるという。
 一方で、英軍で4年間勤務した他の外国人には永住権が与えられていることから、元グルカ兵5人と遺族が「不公平だ」として永住権の付与を求めて提訴。英高等法院は昨年9月、原告勝訴の判決を言い渡した。


 判決を受け、ブラウン政権は規則を改正し4000人以上の元グルカ兵の永住権を認める意向を表明。しかし実際には、(1)戦功により勲章を受章した(2)戦闘で負傷した−などの条件が定められており、元グルカ兵の支援団体は「該当者は100人程度にとどまる」と反発していた。


 今回の動議可決で、政府は条件緩和を余儀なくされる見通しだ。政府は現在、ネパールに帰国した元グルカ兵に対し、英兵の3分の1程度の年金しか支給していない。ただ、永住権を広範に認めた場合、英兵と同額の年金を支給しなければならず、多額の支出増を強いられることになる。

    
■グルカ兵 
 名称はネパール王朝の発祥地「グルカの丘」に由来する。第一、第二次大戦では計20万人以上が英軍とともに戦い、約4万3000人が戦死。フォークランド紛争やコソボ紛争、イラク戦争にも従軍した。
 最近ではアフガニスタンにヘンリー英王子とともに従軍した。毎年、2万人以上の志願者の中から、約30キロの荷物を背負って40分間で丘を駆け上るなどの難関を突破した若者200人が選ばれる。
 「ククリ」と呼ばれる長さ45センチのナイフを携帯。死を恐れず戦うことを幼いころからたたき込まれるという。

posted by Depot at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。