2009年07月12日

◎基礎からわかるウイグル情勢 読売21.7.10

大多数がイスラム教徒
 中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで5日、少数民族ウイグル族による大規模な暴動が起き、中国当局の発表で156人が死亡する惨事となった。ウイグル族とは、どんな人々なのか。中国で多数派の漢族との対立は、なぜ深刻化しているのか。今年10月に建国60年を迎える中国共産党の少数民族政策の実情を紹介し、今回の暴動の背景を考える。

Qどんな民族か
 ウイグル族は、トルコ系のイスラム民族だ。紀元前3世紀ごろの北方遊牧民が祖先とされ、モンゴル高原から9世紀ごろに、今の新疆ウイグル自治区一帯などに移住してきた。
 かつて、欧州と中国を結んだシルクロード沿いのオアシス集落や周辺農村で、ブドウ栽培などの農業や牧畜業を営んできた。改革・開放後の1980年代以降、経済発展した沿海部に出稼ぎに出たり、隣接する中央アジアとの貿易に従事するウイグル商人も増えている。

 大多数がイスラム教徒で、各都市にはモスク(イスラム教礼拝所)がある。中国語と異なる独自の言語ウイグル語で生活し、アラビア文字を基にした文字を使用。「ウイグル」とは「団結」の意味。若者を中心に中国語を話せる住民が増えている。「ナン」と呼ばれる円形のパンやめん類を主食とし、独自の音楽や舞踊を持つ。つばのないウイグル帽などの民族衣装をまとい、生活習慣は、漢族と大きく異なる。日本など国外からの観光客も多く訪れ、孫碧空が活躍する「西遊記に登場する火畑山で有名なトルファンなどの観光地が多い。

 中国の歴代王朝は、新疆一帯を「西域」と呼び、シルクロード通商の要衝と見なしてきた。18世紀半ば、清朝の乾隆帝が一帯を征服、「新たな領域」を意味する「新疆」の名称は、そのころにつけられた。
 民族意識が高まったのは、清朝崩壊後だ。新疆一帯を「東トルキスタン(トルコ人の土地を意味する)」と呼ぶ独立運動が活発化。33年と44年には「東トルキスタン共和国」成立がそれぞれ宣言されたが、指導部内の対立や、ソ連の支持を得られずに短期間で消滅した。

 49年に成立した共産党政権の支配に反発するウイグル族の中には、中央アジアやトルコ、欧米諸国に逃れた人も少なくない。世界21か国に散らばる亡命ウイグル人祖織「世界ウイグル会議」(本部=独ミュンヘン)が、ウイグル族の人権擁護や当局による「抑圧」を国際社会に訴え続けている。
 人権擁護活動をしたために投獄されたウイグル人女性、ラビア・カーディルさん(62)(米国在住)が同組織議長で、ウイグル人社会の象徴的存在になりつつある。日本には約800人のウイグル人がいるといる。


Q少数民族政策は?
「自治」は限定的
 中国には大多数を占める漢族以外に、55の少数民族がいる。2000年の全国人口調査によると、漢族が約11億6000万人に対し、少数民族は総人口の約8・4%にあたる約1億600万人。最多はチワン族の約1600万人、最少はロッバ族で約3000人だった。

 中国共産党は、民族独自の文化や風習を生かすためとして、「民族自治」区域を設定。省レベルの「自治区」は五つで、面積は国土の45%を占める。省より下にも「自治州」「自治県」が150ある。ただ、「自治」が強調されても、実態は新疆ウイグル自治区と同様に、漢族中心の支配が行われている。
 自治区の人口比は、チベットでは9割を少数民族が占めるが、内モンゴル、寧夏回族、広西チワン族の3自治区は漢`族が多数派だ。そのチベットでも、2006年に北京などから区都ラサに直結する青蔵鉄道が開通。漢族流

入が増加し、地域の「漢族化」が進んでいるとみられている。
 また、「自治」と称しても、高度な自決権は認められず、統治の実権は党と中央政府が握る点も共通する。少数民族の幹部登用、民族言語の使用など、認められた「自治」は限定的だ。
 少数民族が暮らす地域は、主に国境地帯の辺境が多く、約600ある国の貧困対策・開発重点県の半数近くが少数民族地域で、少数民族の経済的な立場は弱い。政治、経済、文化の各面で優位に立つ漢族と、少数民族との摩擦は尽きない。

 昨年3月には、チベット族による大規模暴動がチベット自治区や近隣の四川省、青海省などに拡大。中国政府発当分約20人が死亡(チベット亡命政府側発表では220人が死亡)する惨事となった。背景には、チベット族の宗教を尊重しない漢族への反感や、チベット族の経済的な困窮などが指摘されてきた。


Q 暴動の経緯は?
 中国の新華社通信の報道によると、ウルムチの暴動では、一般市民ら156人(男性129人、女性27人)が死亡、少なくとも1103人が負傷した。暴動には数千人が参加したとみられ、1434人が拘束された。死者のうち、ウイグル族と漢族の内訳は公表されていないが、昨年のチベット暴動を上回る、近年で最大規模の民族衝突となった。

 発端となった事件は、6月26日、広東省詔関市の玩具工場で発生した。中国の報道によると、ウイグル族男性が漢族の女性を暴行したとのうわさが工場内で広まり、両民族の労働者数百人の乱闘に拡大。100人以上が負傷し、ウイグル族2人が死亡した。当局は、7日までにウイグル族3人を含む15人を拘束した。 
 インターネットなどを通じて事件を知ったウイグル族は5日、当局に真相究明などを求めるため、ウルムチ市中心部に集結。これが警察部隊と衝突し、暴動に発展したとみられている。

 暴動にいたる経緯をめぐって、「海外からの指揮による計画的、組織的な暴動」と位置付ける中国政府と、亡命ウイグル人組織「世界ウイグル議」の主張は真っ向から対立したままだ。
 新華社電によると、中国当局は5日未明、ネットを通じたウイグル族のデモ呼びかけ情報を察知し、市中心部2か所に武装警察を配置。同日午後6〜8時ごろ、集まった数千人が各所で市民の殺傷や車両破壊行為に及んだため、鎮圧と拘束に当たった、とする。
 一方、世界ウイグル会議側は、広東省の事件に憤ったウイグル族住民の自然発生的な集まりだったと主張。5日午後5時ごろ、学生中心の「平和的な行進」が始まったが、警察が催涙弾や「電流棒」などを使い制圧に乗り出したため、これを知ったウイグル族住民がさらに集結、衝突が拡大したという。同会議側は無差別発砲もあったとして、中国政府を非難している。


Q漢族となぜ対立するのか

「漢族は自分たちが最も偉大な民族だと考え、ウイグル族を差別してきた。漢族への積年の怒りがある」。日本に住む、あるウイグル人は、漢族に対するウイグル族の反発を、こう表現している。
 背景には、漢族が自治区内で、政治、経済双方で優位に立つ現状がある。

 1949年に中華人民共和国が成立、共産党政権は軍を進駐させ、分離・独立の動きを抑え込む一方、54年に発足させた「新疆生産建設兵団」が、開墾や社会基盤整備を進め、多くの漢族の移住を進めた。また、2000年以降に本格化した国策「西都人開発」では大量の資金を投下、ウルムチなどの都市建設が進んだ。その結果、漢族人口が急増、建国時の1949年に25万人だった漢族は、2006年には812万人に。自治区の約4割が漢族となり、ウイグル族は「漢族移住者がウイグル族の仕事を奪っている」と見ている。 歴代の自治区トップは漢族だ。
ウイグル族幹部には事実上のナンバー2として、漢族主導の共産党に忠実なことが求められる。「世界ウイグル会議」議長のラビア・カーディルさんも、90年代に人民政治協商会議委員を務めたが、ウイグル族政治犯が多数処刑されていることを訴えたことで投獄され、来国への亡命につながった。
 中国政府はまた、2001年の米同時テロ以降、ウイグル族独立派を「テロ分子」と見なし、住民監視を強めたため、ウイグル族の反発を招いた面もある。亡命組縁側は、中国当局がウイグル族と漢族の「同化政策」を強化していると訴えている。「ウイグル族を沿海都市に安価な労働力として強制移住させ、子どものウイグル語学習の機会を奪っている」というのだ。さらに、自治区内で1964〜96年に行われた核実験への反感もくすぶる。

 同自治区は原油や天然ガスなどの地下資源が豊富で、中国政府にとっての戦略的な価値は高い。中国政府は、こうした利権を維持しつつ、経済発展でウイグル族を懐柔しようと躍起だが、ウイグル族の目には「漢族に都合の良い開発」にしか映っていないようだ。
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posted by Depot at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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