2008年12月29日

【昭和正論座】再び中国報道について問う 作家 曽野綾子

再び中国報道について問う

■樋口氏の記事に寒気覚え
 十一月二十二日から二十六日までの間の四日間に、毎日新聞に樋口恵子さん(平成20年現在評論家 東京家政大学名誉教授)の「中国でみたこと」という記事が、四回に渡って出た。私は隅から隅まで、なめるように読み、再読し、記事を切り抜いた。

 樋口さんのエッセイによると、中国にはイヌやネコが見当らないのだと言う。
「通訳の王さんが、この答えを出してくれた。「新しい中国で、イヌもネコも失業してしまったんですよ。イヌはドロボウの番をする役目でしたが、解放後、ドロボウはほとんどいなくなりました。ネコはネズミをとるのが仕事でしたが、そのネズミを人民の努力によってせん滅してしまいましたから』」
 樋口さんはイヌ・ネコ好きである。イヌ・ネコを飼うのは、決してドロボウの番やネズミとりだけではない、と言う。

 「『そう、外国の人たちは、イヌやネコをよくペットとして飼いますね。中国ではペットはいらないんです。ぺットを愛するのは、人間が信じられないからです。中国では人間同士、同じ階級の同志として愛し合い、満たされているから、イヌやネコによって慰められる必要はありません』」
 ここを読んで私が背筋に寒気を覚えたのは本当である。


■問題感じない人間は異常
 私は今、人を信じられないどころではない、人間の偉大さと卑怯さと、それらのまじり合って混然とした生甲斐の真只中に暮している、と感じている。私が今、生きていることは、直接間接に、他の人々の恩恵によるものである。
 
 私はおもしろい友達をたくさんもち、尊敬に価する知人を各方面にもち、三人の父母たちと、おかしなことばかりしでかす息子の間で、生活に立ち向っている。それでもなお、私はどうしても、私の家から出て行かなかった、世にも薄汚いネコを一匹飼っている。私はネコなどそれほど好きではない。しかし飼ってみれば、それなりに、私はネコから教えられ、ネコと人間の違いをおもしろく観察している。
 ドロボウなら警報ベルの方が確かである。ネズミなら、殺鼠剤の方が効果がある。イヌ・ネコの効用は決してそんな単純なものではない。イヌ・ネコを飼うことは人間の生活にとって一種のムダか余裕であろう。そのムダと余裕が、人間を精神的に豊かにするのである。

 
 樋口さんは又、北京大学へ行かれる。
「『年ごろですから、恋愛も多いでしょうね。学生結婚する人は何組くらいいますか』と質問したら『学生結婚というのは、まずありません。恋愛についても、学生時代は勉強し、思想を向上するのが本分だと理解していますから。余暇もスポーツや文芸活動に打ち込んで、エネルギーを発散しますから、問題ありません』」

 この言葉には、明らかに嘘がある。なぜなら「問題ありません」ということは、この世で、過去にもなかったし、未来にもない。問題を感じなくなったら、人間は異常である。私の知人の十九歳の初年兵は、兵営の中で一度も性の衝動を覚えなかった。「問題はなかった」が、そのことが異常であった。


■「何でもよくなる」不可解
 次に樋口さんは、働く主婦たちについてふれる。今、中国では、六十歳以下で家にいる人は、「ほとんどいない」という。通訳氏は、「ムダ飯は食わない」ということをしきりに言う。女が働くための設備は実にいい。三交代制にそなえて、二十四時間開いている市場には、味つけしさえすればOKという盛り合わせのコーナーもある。
「どの保育所でも、子供たちは生き生きとしていて、日本流の『母親のスキンシップがなくては…』などという悩みは、ほとんど理解できないようだった」と樋口さんは書いておられる。


 私は自分が働いている人間である。小説は虚業だが、実業の家事はかなり有能なつもりである。私はあまりムダ飯を食っていないように見えるが、それなら、一見、三食昼寝つきに見える家庭の奥さんが、ムダ飯を食っているなどと思ったことはない。私は小説を書くことによって、人間の心は、「一見」などでわかるものではなく、どんな生き方も死にものぐるいであることを知った。外で働く運命を持つ者もあり、家にいることによってその役割を果している主婦もいる。人それぞれに与えられた使命を人間的にがっしりと受けとめて、生涯に立ち向かうことが美しいのである。皆が一律に外で働かねばならぬことが、何がいいものか。
 日本のジャーナリズムは、こと中国に関する限り、何でもよくなるのはどういうことなのだろう。


■中国大使館の見解を求む
 日本でも、イヌ・ネコはいらないヽと考えることがいい、というなら、それもよかろう。大学での学生結婚も事実上できない雰囲気を作って「問題ありません」ようにすることが我が国でも理想なら、それもけっこうである。 しかし大学の自由を守ることが我々の理想なら、中国の状況は決していいものとは言えない。婦人労働の三交代制といえば、当然、深夜も含まれるが、おかず屋やその他の附属設備さえ作れば、日本でもただちに婦人を深夜労働に就かせるべきなのか。私は賛成だが、それは、おおかたの労組の考えるところとは正反対の方向を目ざすものであろう。

 働く母が、外でできあいのおかずを買うこと、子供と接触時間が少なくなること、は日本では、今改めて、よくないことと考えられている。それは教育学者や、心理学者など、専門家たちの意見でもあろう。それらが、なぜ中国ならいいことになるのだろうか。
 中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない物の言い方をして来たことを、私は忘れないつもりである。

 もしそれらの報道が正しくないなら、偉大な中国をこのように歪めて伝えたジャーナリズムの罪は大きい。もし中国に関するデータが真実なら、過去の日本で我々が自発的に、人道上の立場から切りすてた要素を、中国なるが故に無責任に讃美したジャーナリズムに対して私は考えを変えるべきである。国交が回復した今、私が本当に聞きたいのは、中国大使館の見解である。彼らが、日本風に言えば「酸いも甘いもかみわけた」大人の日本人を納得させる豊かな中国像を示してくれれば、日本にも君子は少くないから、熱烈な中国ファンに豹変すること、疑いないと思うのである。
                    作家 曽野綾子 昭和49年12月11旧掲載


「視点」
昭和49年11月下旬、毎日新聞に樋口恵子氏が寄せた「中国でみたこと」を曽野氏が論評したものだ。曽野氏はエッセー中の「中国にはドロボウもネズミもいないから、その番をするイヌやネコもいない」というくだりに寒気を覚え、「学生は勉強と思想向上が本分で、学生結婚はない」との話にうそを見抜いた。
 当時、中国から伝えられる話は大体、このようなものだった。同じころ、秋岡家栄・朝日新聞元特派員も人民公社をたたえるルポを書いている。曽野氏は「中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない」とも書いた。それから30年余、親中派の新聞も少しは中国の真実を見抜くようになった。(石)

posted by Depot at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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