2009年03月01日

中高生の生活意識とメール

今どきの中高生
産経新聞 21.2.25、26

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2009年02月28日

【土・日曜日に書く】共産党が正論を唱えた時期

                                                                         論説委員・石川水穂 2009.2.21 
 ≪社党は韓国発表に疑問≫

 大韓航空機爆破事件(1987年11月)の実行犯、金賢姫元死刑囚と、拉致被害者で金賢姫に日本語を教えた田口八重子さんの家族との面会が近く実現する見通しとなった。
 この事件がソウル五輪妨害を狙った北朝鮮の爆破テロだと韓国捜査当局が発表したのは、21年前の88(昭和63)年1月15日だ。韓国側はこのとき、金賢姫の日本語指導員が拉致された日本人女性で、金正日書記(当時)から「恩恵」という朝鮮人名を付けられたことも明らかにした。発表には金賢姫も同席し、「私はだまされていた」と告白した。
 ここで思い出されるのは、韓国側の発表をめぐる旧社会党(現社民党)と共産党の論争だ。
 当時の土井たか子・社会党委員長は1月21日、来日中の米下院議員との会談で、「北朝鮮がやったといっているが、北にとってプラスになる行為と考えることはできない」と韓国側の発表に疑問を示した。これに対し、共産党の宮本顕治議長は1月22日の党内の会議で「大韓航空機事件は北がやったと確信している」と明言したと、機関紙「赤旗」が24日付1面トップで報じた。
 その後、社会党機関紙「社会新報」が1月26日付で「自白に疑問続出」と金賢姫の供述に疑問を投げかけたのに対し、赤旗は翌27日付で「テロは社会主義国にあるまじき行為」とする朝鮮問題研究者の論文を載せた。
 2月7日、「恩恵」に関するさらに詳しい情報が日韓捜査当局によって発表された。これに社会党が衝撃を受け、執行部の中に「拉致がはっきりすれば断固、北朝鮮に対し抗議すべきだ」という声が出始めたと、翌8日付産経は伝えている。
 その後も社会党内の動揺は続いた。3月7日、同党の井上一成国際局長が民放テレビのインタビューで、大韓航空機事件を「北朝鮮のテロ行為だ」と明言したのに対し、山口鶴男書記長は「国際局長がそのような発言をするはずがない」と反論した。だが、社会党の支持母体である全電通の山岸章委員長は、井上氏の発言を「常識論だ」と支持した。
 ≪梶山答弁を引き出す≫
 一方、共産党は日本政府から重要な答弁を引き出した。
 3月26日午前の参院予算委員会で、共産党の橋本敦氏は産経が昭和55年1月に報じた「アベック蒸発事件」について、竹下内閣の見解を質(ただ)した。これに対し、梶山静六国家公安委員長(自治相)は「昭和53年以降のアベックの行方不明は、おそらくは北朝鮮の(工作員による)拉致の疑いが濃厚だ。今後とも真相究明に全力を挙げる」と答えた。
 このことは産経と日経の夕刊にベタ記事で報じられただけだったが、実は、この梶山答弁は日本政府が拉致事件を北朝鮮の犯行だと公式に認めたものだった。
 当時の日本共産党は、昭和60年11月の党大会で北朝鮮を「覇権主義の一つの野蛮な典型」と批判して以降、北との断交状態が続いていた。こうした政治的な背景があったにせよ、この時期の共産党の活動は評価されてよいだろう。
 その後、共産党は平成12年11月の党大会に朝鮮総連幹部を来賓として招くなど、逆に北との関係修復への動きを強めている。
 ≪金賢姫との面会に期待≫
 田口さんの家族は、長男の飯塚耕一郎さん(32)と、兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(70)らだ。八重子さんが拉致された昭和53年夏、耕一郎さんは1歳だった。繁雄さんに引き取られて育てられたが、生みの母の八重子さんのことは知らされなかった。
 それを知らされたのは、耕一郎さんが21歳のときだ。会社の海外研修でパスポートが必要になり、戸籍を取り寄せたところ、「養子」と書かれていた。育ての親の繁雄さんは、生みの母が八重子さんで、北朝鮮に拉致されて金賢姫に日本語を教えていたことを耕一郎さんに打ち明けた。
 金賢姫との面会の見通しが日韓外相会談で明らかになった今月11日、繁雄さんは「会うことが拉致問題を動かすインパクトになる。八重子のことについて詳しく聞きたい」と話した。
 一方、金賢姫は回想記「忘れられない女」(文春文庫)の中で、「彼女(田口八重子さん)は酒に酔うと招待所の窓の外を眺め『うちの子供はいま何歳かしら?』と言いながら指折り数え、何も知らずに連れてこられた身の上を嘆いた」と書いている。この本には、同じ拉致被害者の横田めぐみさんから日本語教育を受けたといわれる女性工作員「金淑姫」のことも書かれている。
 面会を機に、拉致被害者に関する情報が少しでも増えることを期待したい。
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中国で暴動頻発

中国で暴動頻発
産経新聞 21.2.21

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中国の少数民族差別

中国の少数民族差別

産経新聞 21.2.23
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2009年02月27日

【土・日曜日に書く】アンバランスな議員外交

                                                                   産経新聞 政治部・阿比留瑠比 2009.2.8
◆日中与党協議会の現実

 東シナ海のガス田開発問題、中国製ギョーザ中毒事件など、日中間にさまざまな懸案が横たわる中、今月19日から、第4回日中与党交流協議会が日本で開かれる。両国の与党幹部同士が政治経済、外交のあり方をめぐり意見交換を行い、両国の関係強化を図る目的で、平成18年からほぼ定期的に開催されているものだが…。
 「こんな極端にアンバランスなあり方を続けて、本当に与党交流といえるのか。まるで中国に位負けした朝貢外交ではないか」
 政府関係者はこう憤る。協議会の日本側責任者はそれぞれ党三役の一員である自民党の保利耕輔、公明党の山口那津男の両政調会長が務める。中国の訪日団とは、麻生太郎首相も自民党総裁として会談する予定であるほか、自民党の細田博之幹事長主催の食事会なども催される見込みで、まさに下にも置かないもてなしぶりだ。
 一方、中国側団長は王家瑞共産党対外連絡部長で、「25番目まである共産党幹部の序列外。自民党の役職でいえば、せいぜい国際局長クラス」(日中外交筋)にすぎない。王氏はこの1月、平壌で北朝鮮の金正日総書記に会ったことで注目を集めたが、これも「党の役職の関係で会えただけで、金総書記と特別な関係はない。前任者の戴秉国氏(現国務委員)も会っていた」(外務省筋)という。

 さらに、王氏以外の訪日団メンバーも「中国外務省や商務省の副局長など役人がほとんど」(政府筋)。それぞれの専門分野には詳しくても、日本の与党幹部と日中関係の大局や将来について論じ、話がかみ合う相手ではない。

◆「友好」に平伏する愚

 日本は昭和47年の日中国交正常化以来、過去の歴史への贖罪(しょくざい)意識も働いて「日中友好」という4文字に呪縛(じゅばく)され、その言葉の前で思考停止を続けてきた。
 「日本外交は日中友好至上主義といってもいい。そして友好に反することは何かというと、それはもっぱら中国が決めてきた」
 日中間の戦略的互恵関係を提唱した安倍晋三元首相はこう指摘し、もっと落ち着いた実利的な関係の構築を主張する。だが、国会の現状は「与野党とも相手が中国だとバランスと価値判断を見失い、中身が何かを考えるよりもひたすら友好ムードの演出に走りたがる」(政府関係者)ようだ。
 過去の日中与党交流協議会では、なぜか野党である民主党も歓迎夕食会を開いている。中国の省庁の官僚らを与野党競って接待する姿は、滑稽(こっけい)とすらいえよう。
 親中派として知られた福田康夫前首相が昨年5月、四川大地震の弔問で駐日中国大使館を訪れた際には、こんなエピソードもある。旧知の書記官クラスの大使館員を見つけた福田氏は、親しげに「やあ、元気だった」と話しかけたというのだ。これには「日本国を背負う首相の、公の場での振るまいとしていかがか」(日中外交筋)との声が出ていた。
 日ごろは対中外交姿勢について、マスコミや政治家側に「弱腰だ」と批判されることの多い外務省内からも、「政治家はもっと矜持(きょうじ)を見せてほしい」(幹部)との本音が漏れているほどだ。
◆中国側にも強い危機感
 それでは中国は、日本の政治家が平身低頭しなければ、相手にしてもらえないような強い立場にいるのだろうか。逆に、胡錦濤国家主席は昨年12月に開催された改革・開放路線の30周年記念式典で、こんなあいさつをしている。
 「中国共産党の政権党の地位は永遠でも不変でもないので、党の政権担当能力と先進性を高め、腐敗を防ぎ、全党の団結を維持していかなければならない」
 日中外交筋によると、中国トップが公の場で共産党が政権を失う可能性に言及したことは、ほとんどなく、それだけ党上層部の危機感の強さが表れているようだ。
 中国では今年、都市部だけで1300万人分(うち大卒・大学院卒分が610万人)の新規就労機会の創出が要請されており、そのためにも8%以上の高い経済成長の維持が必要とされている。ところが、国家統計局が1月に発表した2008年の国内総生産(GDP)の実質成長率をみると、昨年10〜12月期(第4四半期)の成長率は6・8%にとどまった。
 また、中国国内では「年間8万7000件のデモや暴動などが起きている」(外務省幹部)といい、胡政権としては、雇用危機や社会不安の矛先が自分たちに向けられることへの恐怖があるのだろう。
 中国にとっても、日本の政治家といつまでも実のない友好儀礼を繰り返している場合ではないはずだ。今後も与党交流を続けるのなら、むしろ日本側から中国に「もっと高いレベルの実力者を頻繁によこすべきだ」と提案するぐらいしてはどうか。
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2009年02月26日

【正論】樺太を露領と認めたのはいつか

                                                               東京大学名誉教授・小堀桂一郎2009.2.17
 ≪首相の決意もむなしく≫

 米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
 2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。
 建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。
 麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
 ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。
 ≪「実効支配」で片づける≫
 何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。


 最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。

 ≪主権感覚の無残な欠如≫
 この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。
 「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。
 金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。
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2009年02月25日

アフガンへの各国の派兵状況

アフガンへの派兵状況

産経新聞 21.2.19
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2009年02月23日

「動乱支那の真相(昭和6年)」

支那人の国民性が理解できる著作を紹介する。 

戦前のチャイナ・ウォッチャー長野朗氏のシナ分析
(読者の声1)宮崎正弘の国際ニュース・早読み 通巻2500号突破、おめでとうございます。
貴誌で紹介されておりました戦前のチャイナ・ウォッチャー長野朗氏の「動乱支那の真
(昭和6年)」読了しました。
とにかく面白すぎです。
緒言の『国民性はかくして生まる』では、「長い間圧政を受けて来た支那の国民は甚だ念の入った嘘付きの習慣が付いた。嘘は弱者の武器で、政治が悪い證據である。」とはじまり、政治編では『妥協的な国民』『凡てを職業化す』と革命の堕落を描き、「蒋介石の蓄財についても支那人は別にこれを問題にせず、蒋介石位の地位になれば、それ位の金を儲けるのは当然だと思っている。」
「国民革命が盛んになったのは失業知識階級を巧く利用したからである。」
「清朝は学生を多く学校に集めることを避け、各々家庭にあって勉学させ、試験の時だけ集めた。これは一緒に集めて置けば不安の因だからである。試験も時務に遠ざかった空疎なものをやらせ、試験に合格したものは四庫全書とか康煕字典とか一生かかってやれないような仕事を押しつけて、学者を世間から隔離して置いたので、三百年近くの太平を保った。」とあるのは台湾の228事件や毛沢東の百花斉放・百家争鳴〜反右派闘争から今に至る知識人弾圧を予見させます。

「凡て何んでも商売化する支那の国民性は、官業をメチャメチャにする。」と塩の専売の例から労働運動・排日でも皆一つの職業になると続き、「示威運動の行列賃が一日五十銭、演説が一回上等一円、下等五十銭、女学生は効果が多いと云うので一円、何を喋っているかと思うと、黄色い声を張り上げて森永のミルクキャラメルには毒が入っているから買うなと云うようなことを云って居る。所が上前をはねる首領株の間に金の分配で内輪喧嘩を始めたりしたが、中には排日の学生首領にして金と名誉と一緒に運動した女学生の美人とをかち得た果報者も居たので、仲々排日も止められなくなった。」
と笑わせますが、ここまででまだ8ページ、この調子で200ページ続きます。

目次は『多面的性格・複雑性・実利主義・戦わずして勝つ・利己主義・出世と金儲け・・・』と中国人の特徴をよく捉えています。「支那人が学問するのは官吏になるのが目的であって、官吏になるのは金儲けにあるのだから、お役人が悪いことをするのが当然である。支那ではお役人が在職中に官金を胡麻化さず清貧であるものを「両袖清風」と云う。
ところが、この清廉と云うのが日本人見たように潔癖の清廉ではなくて、余り無暗に取らないと云うことである。
支那で「清廉の士」と云うのは一割かせいぜい二割以内の限度を越えないものを称するのである。」 
いまでも共産党が思い出したように汚職追放のキャンペーンを行ったりしますが、二割で清廉なら死刑になるような横領は何割位なのでしょうね。

『誅求と中飽(チュンパオ)』
「支那人は官吏だけでなく、あらゆる階級を通じて誅求を行うように出来ている。今日で云えば搾取であって、官吏は軍閥と共に数千年間搾取学を研究し、その蘊奥を極めて居る。」「中飽と云うのは途中で胡麻化すことで、官吏が人民からは金を取り立てながら政府には送らず、途中で自分の懐に入れることだが、其の方法は古くから行われて非常に進歩して居る。」「列国が支那の饑饉に同情して出した金も、多くは災民の手に入らず中途で消え失せる。」 四川の大地震でも援助物資の横流しがありました。

『弱点の利用に巧』
「一度弱者の地位に立ったものは何処まででも凹んで行って、反撃してくると云うことはないから、支那人に一度弱点を示せば、いくらでも押して来る。それは日本人だと或る程度までは、じっと我慢して居るが、いよいよ我慢出来なくなると猛然立って反撃する。こうした日本人の性質が分からないから、日本が多少譲歩的態度に出ると好い気になってぐんぐん押して来る。ここに日支関係の危機がある。」 
このあたりは反日暴動や尖閣・靖国問題を見てもわかります。

『宣伝の天才』
「支那人が喧嘩して居ると、すぐに弥次馬が周囲に黒山を築く、すると喧嘩して居た二人は相手を放って置いて、各々群集の方に向いて自分の方に道理があると云うことを訴える。そして公衆の批判が正当と認めた方が勝ちである。」
「支那の戦争を眺めて居ると、兵力の多寡や強弱よりも、人気のある方が勝つようである。」
「支那人は白を黒と言いくらます理屈の付け方は実に巧いもので、自分の方で散々悪いことをして置いて相手が悪いように言いまくる。議論や文章ではとても敵わないから、気の短い日本人はすぐに支那人を殴りつけると云うことになる。」
「日本人の謙譲は美徳であるかも知れないが、それが一歩を誤れば陰険に見える。自分の欲しいものを欲しくないような顔して、しかも陰でちょいちょいやるから悪い。自己の正当と認める要求は明らかに世界の前に宣言すべきである。」
「支那人は日本人を非常に腹黒く非常な野望を持って居るように誤解して居る。黙った国民とおしゃべりの国民とが隣り合って居るので、中々巧く行かないのである。」

『支那人の義侠心』
「支那のある租界に私の知った日本人のお医者さんがあった。
支那人の間には中々信用があって好い患家を持って居たが、その人は支那人の宅から往診を云って来てもすぐには出掛けない。支那人が日本人の医者にかかるのは、余程悪い時であるから、普通ならば急いで飛んで行くべきだろうが、其のお医者さんは先ず電話で診察料の交渉をやる。それが纏まった所で出掛ける。患家に行ってもすぐに病室に入らずに、先ず応接間に入って、診察料を受け取った所で初めて病室に行く。日本人から考えたら一寸可笑しいようだが、支那ではこれでないと駄目である。日本人は支那人を忘恩の民と云うが、支那人に云わすれば日本人は訳の分からない人間だと云うかも知れない。それは双方の考え方が全然異なって居るからである。」
「支那の現在の要人の中にも、将に殺されそうになった所を日本人に助けられたものが少くない。それが盛んに排日をやる。又昔の恩人に遇うても知ぬ顔しているので、日本人は之を忘恩だと云うが、支那人に云わすれば、恩人顔するようならばなぜ始めから助けてやる時に報酬なり交換条件を持ち出さんか、黙って助けてやったんだから、助けた方は助けたと云うことで満足し、円満に問題は解決して居るではないか、それを今更恩人顔するのは怪しからんと云うのである。」
「支那人の考え方ですれば、何らの報酬もなくて人のために力を尽くすと云うことは有り得ないと考えるだろう。」
対中国ODAに対して、中国政府から感謝の言葉もないと日本側は不満でしたが、これほどまでに考え方が違うのですね。

『賭博心』
「支那人は天性賭博打ちに出来て居る。日本人なら負くればがっかりするし、勝てば逆上(のぼ)せるが、支那人は勝っても負けても急かず焦らず、逆上せず失望せず、平然とやって居る所は偉いものである。」
「以前に北方督軍団が幅を利かして居た頃に、督軍団の会議が始まったとなると、天下の形勢が一変するので、日本の新聞記者等は大騒ぎで会議を注意して居ると、督軍連滅多に集まったことがないのでこの好機とばかり賭博を始める。これ督軍連は自分の省で賭博をやれば、相手は皆部下だから、部下は上官に対しては必ず負けることになって居る。これが一つの賄賂である。そこで相手が本気でなく勝つことに決まって居るので面白くないため、こうして同僚が集まった時に大いにやるので、天津会議の時に、或る男はシャツ一枚になり汗を流して大童になり、或る男は敗けて自分の省に五十万円送れと電報を打ったのが居る。」

この他にも、池で溺れても誰も助けてくれず、銀貨を見せたら6人が助けに来たとか、催情薬が二百余種、金を儲けた結局は女と御馳走に落ち着くと紅楼夢の世界や偽バイアグラの今を思わせます。労働者については体力強健、寒暑病魔に耐え得る。
四億の人口を背後に控え、海外では多く移住を禁止されているが、もし此の禁止が解かれようものなら、支那の苦力群は全世界の労働市場に流れ出すだろう、との予測は現実のものとなりました。
今読んでも内容は全然古くないですね。

今回、同時に借りた朝日新聞社「支那事変写真全輯」に緒方竹虎の序文がありました。
 「・・・今にして想えば、支那は、その欧米依存と日本に対する認識の誤謬と西安事件以後における国内情勢の鬱結から計画的意識的に日本に向って戦争を構えたもので、蘆溝橋はその意味におけるサライェボだったのである。大山大尉事件前後に南京上海を繞る空気、事件勃発に伴う支那軍の何時になく敏速だった機動、それを指令する南京政府の態度が最もよく列国民監視のなかに此事実を語って居る。
 日支事変が斯の如くして計画されたとすれば、これに応戦して起って全支を席捲し、首都南京をすら攻略した日本の地位が、日支事変を劃期として東亜の絶対勢力となることは、真に当然の結論といわねばならぬ。日支事変は『売られた喧嘩』であるが、日本は招かずしてその多年の念願たる東亜安定の機会を握ることを得たのである。支那の欧米依存が破れたことは、日本の指導権の確立されたことを意味する以外の何物でもない。東亜の風雲はなお急であり、時局の前途は遼遠であるが、支那にして旧夢より醒め、列国にしてよく東亜の新情勢を認識するに至れば、日支の共存共栄下に平和繁栄の新天地を啓くことは、日を計えて期し得るのである。」・・・・以下略

まさに「戦わずして勝つ」を上策とする中国と短気な日本、長野朗氏の分析通り『売られた喧嘩』を買ったものの欧米での宣伝は中国に完敗、国際連盟脱退から真珠湾へとつながっていきますが、日本人の性格や当時の社会の雰囲気からして対中・対英米戦を避ける方策は果たしてあったのでしょうか。
長野朗氏の著作の一冊、復刻の話が進められているようですがぜひとも出版していただ
きたいものです。
   (PB生)


(宮崎正弘のコメント)まさにエッセンスをまとめていただいて、これぞシナ学の肯綮。長野朗氏の著作も、大川周明も、内田良平も、小竹文夫も、その観察眼は節穴では無かった。
 ところで長野朗の復刻ですが、依然、ペンディングですが、おそらく夏前に内田良平の復刻が先行すると思います。現代語訳は森田忠明氏の手ですでに昨秋、出来上がり、小生も若干の解説を入れるほか、多くの内田良平研究家が執筆。刊行は展転社から。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成21年(2009年)2月23日(月曜日)参通巻第2504号  から引用

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2009年02月17日

【昭和正論座】■対韓侵攻 第2トンネルを見る

文芸評論家・村松剛 昭和50年5月12日掲載 産経新聞2009.2.7 
  ≪1時間に2万4000将兵≫

 北朝鮮が韓国の国境内に向けて掘ったトンネルを、見せてもらった。
 対韓侵攻用の、トンネルである。日本ではマス・コミがあまり大きく扱わず、知るひとも少ないように思われるので、あえていささかくわしく書いておく。トンネルはこれまでに二本発見されていて、ここにいうのは第二トンネルの方である。
 場所はソウルから東北に、一〇〇キロメートルくらいの地点になるだろうか。自動車と、次にはジープを乗りついで二時間ばかり走ると、一九五〇年の朝鮮戦争当時「鉄の三角地帯」と呼ばれた山あいの盆地に出る。名まえが示すように、ここは有名な激戦地だった。一つの町−−鉄原−−が戦火によってあとかたもなく消え、茫々とした草原と化している。
 はげしい戦いのあとは、この地域がいかに戦略上重要な意味をもっているかを物語る。その戦略上の要地のはずれに、北がわからのトンネルがもう少しで口を開こうとしていたのである。
 朝鮮半島のまんなかを平均四キロメートル幅の非武装地帯が走り、そのまた中央に北朝鮮と韓国との境界線がある。トンネルは境界線の下をくぐって非武装地帯を抜け、韓国がわの守備線にまで達していた。トンネルの高さは平均して二メートル三〇センチくらい、幅は約三メートルだから、ジープは走行可能である。韓国軍の計算ではこれをとおって一時間に二万四千の将兵が、七六ミリ砲を積んだジープとともに地下から湧出(ゆうしゅつ)できるという。
 非武装地帯の両がわは、このあたりは丘陵のつらなりである。トンネルは地底深く掘られていて、丘の下では地表から三〇〇メートル以上にもなる。かたい花崗岩(かこうがん)ばかりの土地であり、掘るのも大変だったろうが見つけた方も尋常の努力ではなかったと思う。


≪韓国内部をにらむ金主席≫  

 北朝鮮がわは第一トンネルが発見されたときと同様に、掘ったのは自分たちではなく韓国である、と強弁した。しかしこれはどう見ても、無理ないいぶんであろう。そもそもトンネルの口が、韓国の前線内部にはないのである。
 地下で何ごとかが行われていることを察知した韓国軍が、アメリカから穿岩機(さくがんき)をとり寄せ、国連軍の許可を得て非武装地帯(韓国寄り)にはいって穴をあけ、小型カメラを地下深く降ろした。四十数回の試掘のうち、七つとか八つとかのカメラがトンネルの存在をとらえ、そこで本格的な穴掘りがはじまったのである。韓国がわからのその探索用の穴の入口は、したがって非武装地帯にある。

 ヘルメットを借りて探索用の穴を降りてゆくと、トンネルの横っ腹に出る(深さはこのあたりで、地表か
ら三〇メートルほどである)。北朝鮮軍は探知されたことに気づき、内部に障害物を構築し地雷を埋伏して去った。韓国方向への行きどまりの岩面には、穿岩用のダイナマイトをつめこむ穴が二十ばかりあけられたままになっている。


 「あと五〇〇メートル掘りすすめば、平原です」と、案内の韓国軍の師団長が説明してくれた。つまりもしも発見されずにトンネルの開穿が進行していたら、一時間に二万四千の兵力が大砲とともに五〇〇メートルさきの平原部分に湧き出し、韓国の国境守備隊を背後から急襲していたことになる。北朝鮮の主席・金日成は、もし韓国内部で叛乱が起こったら、いつでも助けに行くと言明しているのである。


≪「ベトナムの次は」の不安≫  

 この種のトンネルはぜんぶで十個程度掘りすすめられているだろうと、韓国の軍や政府首脳部の人びとはいう。第二トンネルについては、その全長は三、五〇〇メートルに達し、たぶん一九七一年の暮ごろから掘りはじめられた、という説明だった。この説明が正確だとすれば、南北統一についての会談がはじまったのが一九七二年の夏だから、まさに協調会談の最中に北朝鮮は地下に攻撃用のトンネルを掘っていた計算である。

 
 世界を支配しているのは、依然として力である。北ベトナムの正規軍が南を攻撃し、ついにはサイゴンを陥落させたのはどう考えてもパリの平和協定違反だが、世界のどの国もあえてそれを問題にしようとはしないし、まして条約の履行を保障しようとはしない。(南には北の政治をきらって逃亡して来た百万の人びとがいたのである。彼らの運命は、どうなるのだろうか)


 プノンペンとサイゴンとの陥落にとなりのタイはすでに怯えているし、南ベトナムのカムラン湾は、今後ソ連艦隊の軍港になるかも知れない。ベトナムの次は韓国という不安の声は世上高く、じじつ金日成主席はサイゴン政府の滅亡の直前に軍首脳をつれて北京に行っているのである。

 連休を利用してのごく短い韓国旅行だったが、その間に朴大統領とも会ってはなしをきき、こちらの意見も率直に述べることができた。はなしの内容はべつの機会にゆずることとして、大統領が淡々とした口調で説いたことも、南北間の緊張のたかまりだった。


≪均衡欠くマス・コミ報道≫  

 問題は、トンネルだけではないのである。北朝鮮はこれも韓国の首脳部の説明によれば、昨年の秋いらい一八二ミリの長距離砲を三十数門ソ連から輸入し、国境近くの地下陣地に配備している。ソウルは国境から直線距離で四〇キロメートルしかなく、砲弾は首都にとどく。


 韓国はその経済を、GNPのひとり当り五百ドルにまでようやくひき上げた。北朝鮮はその気になれば長距離砲とミサイルとによって、韓国経済の心臓部に打撃をあたえることも可能だろうし、また万一奇襲作戦でソウルを奪われれば、韓国は半身不随となる。韓国の総人口の半分近くが、ソウル周辺に集中している。韓国が緊張するのは、当りまえだろう。

 北朝鮮に関しては明るい面ばかりをもっぱら強調し、韓国の方は暗い独裁国としての面を強調する傾向が、最近のマス・コミにはつよい。まるで北朝鮮の独裁制や貧しさは忘れられているかのようで、これは均衡のとれた報道の態度とはいえない。半島の軍事的な緊張状況も、一衣帯水の日本に不思議なほど伝えられていないのである。
 朝鮮半島の将来は、日本そのものの運命に結びついている。例えば釜山に赤旗がたち、その上かりにカムラン湾がソ連の軍港と化したとして、なお日本はいまのままでいられるかどうか。それを思い、ここにありのままの見聞をしるした。


【視点】
1970年代半ば、朝鮮半島の南北軍事境界線の地下で、北朝鮮が韓国への侵攻用に掘ったとみられるトンネルが相次いで発見された。日本のマスコミが大きく扱わなかったため、村松氏は直接現地へ行き、自分の目で確かめた結果をこの正論欄で詳しく報告した。

 村松氏は、もしトンネルが発見されなかったら、「一時間に二万四千」の北朝鮮軍が韓国の国境守備隊を背後から急襲していた可能性を指摘した。本来、このようなことはマスコミの役目だ。日本の学者やジャーナリストの多くが韓国・朴正煕政権の強権的な手法を厳しく批判しながら、金日成政権の独裁政治にはほとんど目をつむっていた時代のことである。(石)
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2009年02月04日

シビリアン・コントロールとは

『基礎からわかる文民統制』
文民による政治が軍隊コントロール

 文民統制とは一般的に、文民による政治が軍隊を統制する原則のことを言う。 軍隊は国の平和や独立を守り、国民の安全を確保する実力組織だが、統制を誤ると、国民が危険にさらされる恐れがある。このため、日本を含む各国では軍の政治介入を防ぐとともに、軍を活用する観点から、文民統制を確保する仕組みを整備してきた。

 2008年版防衛白書は文民統制について、「軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的な政治統制を指す」と説明し、 「わが国の場合、終戦までの経緯に対する反省もあり、自衛隊が国民の意思によって整備・運用されることを確保するため、旧憲法下の体制とは全く異なり、厳格な文民統制の諸制度を採用している」と強調している。 まず、憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」 (66条2項)と規定。

 そのうえで、政府は「文民」について、「(ア)旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの(イ)自衛官の職に在る者−以外の者」(内閣法制局作成資料)としている。 戦前は、武官が首相や閣僚を務めたことがあったが、今は自衛官は防衛相を含め、閣僚になることはできないというわけだ。 防衛省の次官、局長をはじめとする内部部局の事務官らは法律上、「自衛隊員」ではあるが、制服組の「自衛官」ではないため、文民と位置づけられる。実際、防衛相を補佐する立場から、内閣官房や他省庁との政策調整や国会答弁を担ってきた。 ただ、文民統制上の位置づけは定かではない。 石破茂・元防衛相は昨年12月の参院外交防衛委員会で、「背広(事務官ら)であれ、制服であれ、国民に対して直接責任を負い得る立場にない。文民統制の主体だとは思っていない」と述べ、統制する側ではないとの考えを示した。
 
 また、増田好平防衛次官は13日の記者会見で、「私も防衛省の一員であり、統制の対象という言い方もできるのかなと認識している」と述べた。
 一方、外国に目を向けると、英国では、文民統制の制度は、議会が絶対君主の王権を制限する立憲主義を確立する過程で形作られたと言われている。英国は名誉革命後の1689年の 「権利章典」で、平時に議会の承認なしに常備軍を徴集し、維持することは違法と定め、軍に対する議会の統制を規定した。

 1787年に制定された米国の憲法や、1791年制定のフランス憲法でも、それぞれ文民統制の規定が明記された。独立宣言を起草した米国の第3代大統領ジェファーソンは1801年の就任演説で、「軍部に対する文民の優越の確立・維持」と語り、米国の文民統制の基本となっている。 現在、先進諸国では、議会が国防に関する重要事項を議決し、大統領や首相が国防の最高責任を負い、文民統制を確保する点で共通している。ただ、その仕組みは一様ではない。


■運用基準明確性欠く
 Q問題点は

 自衛隊に対する文民統制は、様々な仕組みで行われている。主体となるのは国会、内閣、防衛省(相)の三つの機関だ。
 国権の最高機関である国会は、法律や予算の議決で自衛隊の定数や組織、装備品などを決定する。国会での議論は、自衛隊の能力だけでなく、防衛の基本方針にも影響を与えるため、国会は「文民統制の要」と位置づけられてきた。 防衛出動や治安出動、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく海外派遣なども国会の承認事項だ。自衛隊による無制限の活動を抑制する役割も担う。

 自衛隊は、首相が閣僚を通じて指揮監督する行政組織の一つだ。ほかの省庁と同様、文民である首相が最高の指揮監督権を有することになる。さらに、内閣には、関係閣僚が主要メンバーの「安全保障会議」が設けられ、国防に関する重要事項が審議される。 防衛相が文民統制を維持するための「究極の手段」 (防衛省幹部)が、自衛隊法に基づく自衛官に対する人事権の行使と言える。田母神氏の論文問題でも、浜田防衛相はただちに同氏を更迭し、「これこそ文民統制だ」と説明した。
 さらに、防衛省は訓令で、武器使用などの部隊行動基準(ROE)を防衛相の承認事項としている。これにより、防衛相は緊急事態で自衛隊がとる行動をあらかじめ把握し、時に厳しく抑制することも可能になる。

 自衛隊に対する文民による統制は事細かで、日本の文民統制は制度としては、かなり整っていると言われている。 ただ、田母神氏の論文のケースでは、「どういう言
動か文民統制上、問題になるのか」という制度を運用する基準のあいまいさを指摘する声も出た。 今回、問題視されたのは、@職務に関する意見を外部に発表する際、事前に書面で届け出ることを定めた防衛省の内規に反して、論文を発表したA歴史認識などで政府見解と異なる意見を公にしたIといった点だ。

 論文発表の手続きに関しては、田母神氏は11日の参院外交防衛委員会での参考人質疑で、「論文は歴史研究の成果として書いた。職務に関係していないので通知しなかった」と主張した。政府見解との関係については、「政府見解で言論を統制するのはおかしい」などと述べた。
 防衛省内では、「自衛隊の運用について発言した栗栖氏と違いヽ田母神氏は独自の歴史認識を披露しただけなので、懲戒処分の審理をしても、免職にはできなかったのではないか」との見方もくすぶっていた。

  しかし、元陸上自衛隊北部方面総監の志方俊之帝京大教授は「自衛隊内で影響力が大きい上級指揮官にとって、歴史認識は職務のうちだ」との見方を示す。麻生首相も13日の同委員会で、「空幕長となると、公の場で政府見解と違った発言をすることは制限されざるを得ない。それがいやなら、任務に就くべきでない」と明言した。

  こうした認識のずれを解消するためにも、今後は文民統制にかかわる具体的な事例の分析も必要になると見られる。浜田防衛相は11日の同委員会で、「(自衛隊員が外部に意見を発表する際の手続きの)基準は明確であるべきだ。しっかりとした基準を作りたい」と答弁した。


■過去にも混乱

 日本では、過去にも、文民統制のあり方が大きな議論になったことがある。 代表的なケースは、1965年の「三矢研究」と、1978年の栗栖弘臣統合幕僚会議議長の解任事件だ。 三矢研究は、防衛庁の統合幕僚会議事務局が63年に行った「昭和38年度統合防衛図上研究」のことだ。朝鮮半島有事が日本に波及する事態を想定し、自衛隊の防衛出動や戦時立法などを研究した。
 
 2年後に社会党が国会で取り上げるまで、佐藤栄作首相も知らされていなかったため、野党は「制服組の独走」などと追及した。防衛庁は「政府が計画や方針を決定するためではなく、単なる研究だ。研究の結果、何らかの措置が必要なら防衛庁長官に要望が行われ、長官がその処理を判断する。文民統制は確保されている」との見解を示したが、国会審議は紛糾し、有事法制整備が遅れる大きな原因となった。

 解任事件は、栗栖氏が週刊誌のインタビューで、、 「(日本が奇襲攻撃を受けた場合、自衛隊の)現地部隊はやむにやまれず、超法規的行動をとることになるでしょう。法律がないから何もできないなどと言っちゃいられないような事態が将来、起こりえる」と発言したことが発端となった。 有事法制の必要性を指摘するものだったが、当時の金丸信防衛長官は「真意はともあれ、自衛隊が現行法制を無視して行動する可能性があるかのごとき誤解を与える」として議長を解任し、栗栖氏は勧奨退職に応じた。

 ただ、栗栖氏も発言が不適切とされながち、懲戒処分は行われなかった。幹部自衛官が発言を理由に懲戒処分を受けたのは、過去に1例しかない。1992年、陸上自衛隊高射学校の戦史教官だった柳内伸作3佐の「クーデター」論文問題だ。柳内氏は週刊誌に、「(政治腐敗を)断ち切るにはどのような手段があるか。革命かクーデターしかありません」と、自衛隊によるクーデターを容認するような論文を寄稿。防衛庁は「品位を保つ義務に違反した」として、懲戒免職処分とした。

■「背広組による統制」と曲解
Q導入の経緯

 日本はどのような経緯で文民統制を導入し、現在に至っているのだろうか。戦前、日本は軍の最高指揮権である統帥権が議会から独立し、軍事に対し、内閣や国会という政治の統制が及ばなくなってしまい、旧陸海軍の独走を許す結果となった。この反省から、1950年に自衛隊の前身である警察予備隊を創設する過程で取り入れられたのが、欧米にならった文民統制だ。

 だが、その経緯は複雑怪奇なものだった。連合国軍縮司令部(GHQ)の指示で、政府は予備隊創設に取りかかったが、その構想は、予備隊トップの長官以下全員がユニホーム(制服)を着て、7万5000人の部隊を指揮監督するシステムだった。 ところが、この構想に在日米軍事顧問団の幕僚長だったフランク・コワルスキー大佐
らは「シビリアンコントロールの見地からいって認められない」と猛反対した。
 この時初めて、政府の担当者は「シビリアンコントロール」という言葉を耳にしたという。その時の模様は、防衛法制史の権威で、元陸将補の宮崎弘毅氏(故人)が、11年前に当時の防衛庁で講演した資料に詳しい。


 「米顧問団からシビリアンコントロールと聞かされた時、通訳は『文官統制』と訳した。文民という言葉など知らず、旧事時代の武官(軍人)と文官(官僚)のことだと思ったからだ。ところが、当時の内務官僚(後の防衛次官)がこの訳語に飛びついた。予備隊本部に配属される100人の官僚が、制服をコントロールすることと都合良く解釈した。その後、それがいつの間にか定着してしまった」 この結果、わが国においては、本来「政治による軍の統制」であるはずのシビリアンントロールが、長い間、防衛省の官僚(背広組)が自衛隊を統制することとされてきた。現在に至ってもなお、防衛相を補佐するスタッフである防衛省内局の課長以上の主要ポストに、自衛官が就いていないなど、他国に例を見ない形が続けられてきた。
 戦後日本的なシステムとも言えるが、このシステムが温存されてきたのは、予備隊創設時の経緯だけではない。そもそも日本国憲法は「戦力」を持だないと明記しているため、軍隊を統制するための詳しい仕組みが必要なかった。

 このため、66条2項で大臣について文民規定を設けているほかは、憲法にはシビリアンコントロールにかかわる規定はない。欧米では、議会に軍事に閲する基本権や統帥権があることが、憲法で規定されているのと比べて大きな違いだ。

      ◇
 読売新聞20.11.14、編集委員・勝殷秀通、政治部・中山詳三、一志磨力が担当

文民統制の流れ

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【正論】 政治が自衛官の士気低下招く

                                                              平和・安全保障研究所理事長 西原正 2009.2.3 
  ≪憲法上の地位への不満≫

 最近、幹部自衛官(制服組)と接触する中で、彼らの士気が低下しているのに気付く。この1年ほど、イージス艦の機密漏洩(ろうえい)、護衛艦「あたご」の漁船衝突、田母神発言など問題が相次いだ。だが制服組の不満は、そうしたことで非難されること以上に、政治家が自分たちの任務、苦労を理解しようとしていないということに基づくと聞く。

 こうした不満をそのままにしておくことは、自衛官の士気を下げ、ひいては国防の根幹をなす自衛隊の組織の弱体化を招く。どこの軍隊も、国民およびその代表(行政府や議会議員)の強い支持と激励がなければ、犠牲を伴う困難な任務をやろうとする気にはならない。武人はなによりも名誉を尊ぶのである。
 彼らの不満の第1は自分たちの憲法上の地位である。自分たちは果たして「軍隊」なのか、という根本的なところで、自民、公明、民主各党の政治家がいつまでたっても明確な解答を出そうとしない点である。その怠慢が自衛官の心情を傷つけているのだという認識が政治家にほとんどない。誠に遺憾である。

 ≪「非戦闘地域」での誤解≫
 第2に、陸上および航空自衛隊員らが派遣されたイラクの現場を、政治家が「非戦闘地域とは安全なところ」と単純に思い込んでいることへの不満がある。イラクに派遣された部隊は、イラク特措法によって「非戦闘地域」での困難な任務を与えられた。その任務を見事に達成し、しかも一人の犠牲者も出さずに全員無事に帰還した。

 しかし、「非戦闘地域」とは単に戦闘行為が行われていない地域というだけで、実際は少なからず危険があったのである。
 それがために、陸自派遣部隊のキャンプは工夫を凝らした防護態勢をとっていた。事実、キャンプに不審弾が着弾したことが何回かあった。空自の場合も、バグダッド空港などでは離着陸直前の低空飛行の際に地上からのロケット砲攻撃を受ける危険に対処するため、急上昇ないし螺旋(らせん)形急降下による離着陸を行っていた。

 これは高度の操縦技術を要するといわれる。これを5年間にわたり、一度も攻撃に遭わずに八百余回行ったのである。制服組は、「訓練の成果と任務への旺盛な完遂意欲の成果」だといっても、政治家がこのことに理解を示さないことに不満をもつ。

 ところが、攻撃を受けた際の野党の反応は「非戦闘地域ではなかったではないか、法律違反だ」と政府を非難していただろう。政府からは自衛隊の情勢判断ミスを咎(とが)められたかもしれない。これを恐れて、自衛隊はイラクでの苦労話をあまり広報しなかった、という。これがかえって政治家の理解を不十分にさせてしまった側面もある。

 ≪武器使用基準への無理解≫
 第3に、制服組には、自分たちの任務に課せられた「不合理な」武器使用基準を、政治家が不合理と思っていないという不満がある。
 アフリカ・ソマリア沖の海賊取り締まりのために自衛艦を派遣する準備が進められている。政府は、新法が制定されるまでは、自衛艦の任務を自国船関連のみの保護に限る方針のようである。

 また自衛艦には、危険が迫っているときにも「正当防衛」が明白でなければ、海賊や海賊船を直接攻撃できないし、海賊の捕捉もできないという武器使用基準を適用しようとしている。
 政府は新法を用意して、他国船の保護や海賊への攻撃・捕捉が可能になるようにしようとしている。だが、公明党や民主党の反対を受けて、武器使用基準を厳しいものにせざるを得ないであろう。

 しかしその結果、自衛艦の行動にタガをはめすぎた不合理な法律をつくることになるとは、どの政党も思わないだろう。それでは派遣された自衛艦が海賊船に逆に拉致されるといった笑えない事態も起きないとはいえない。

 他国船が保護を要請してきたときに、自衛艦は「新法ができるまでは、自分たちの任務でない」として最低限の協力しかしないのか。そんな警備行動は国際的には通じないし、何よりも当の自衛官たちは面目を逸し、当惑するだけである。

 政治家は、制服組の理にかなった不満に一刻も早く応えるべきだ。不満を持たせたままにしておくのは、きわめて不健全である。政治家が彼らの苦労を理解し、激励することを求める。彼らがすすんで任務を果たせるような政治的環境をつくらなければ、国防に命を賭ける気がしなくなるであろう。
 自衛隊は軍隊であるとの政治判断によって制服組に誇りを与えることこそがシビリアン・コントロール(文民統制)の第一歩である。
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2009年01月27日

イスラム女性の服装

イスラム女性の服装

産経新聞21.1.26
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2009年01月25日

【週刊韓(カラ)から】韓国は「性犯罪大国」? 被害者支援体制も充実

                                                                                     2009.1.25 18:00
 事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる 強姦(ごうかん)などの性犯罪被害にあった場合、病院や警察などで何度も事件について説明させられた揚げ句、法廷での証言の際も被害現場の再現を強いられるなど「第二の性的被害」を受けるケースが多い。こうした問題を解消するため、韓国では応急治療から事情聴取、法律相談までを1カ所で無料で行う警察庁管轄の「ワンストップ支援センター」が整備されている。

 婦人警察官と医療スタッフが24時間常駐しており、センターに駆け込めば即対応してくれ、一度にすべての処置が済むので被害者側の負担も少なくて済む。センターでは性犯罪のほか、校内暴力や家庭内暴力の被害者も扱っており、現在、全国に15カ所開設されており、いずれも病院内に設置されている。うちソウル市内のセンターをルポした。
 センターは、ソウル市郊外にある警察病院内に設置されていた。外来患者らが行き来する玄関を過ぎてすぐ右に曲がった場所にあり、センターの案内はあるが、性犯罪を連想させる表示はなく、被害者がとくに抵抗なく入室できるようになっていた。
 センターに入ると、4、5人の女性職員がおり、うち1人は婦人警察官だった。机が並ぶ事務室の奥には相談室のほか、婦人科の治療機材が設置された応急治療室、陳述録画室・モニター室、ベッドが置かれた被害者安静室、シャワー室があった。
 被害者はまず相談室に入り、担当者に相談した後、応急治療室で医師から診断を受け、加害者から性病や肝炎などの感染病を移されていないかを調べるため、血液検査なども受ける。また、犯人逮捕につながる髪の毛や体液などの証拠品も採取する。
 この際、検査に必要な器具や被害者が身につけていた下着や衣類などを証拠品として保管する袋などが1つの箱にまとめられた「応急キッド」も準備されており、検査もスムーズに行われるように配慮されていた。

 事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる
 続いて、陳述録画室に移動して、NGO(非政府組織)など第三者立ち会いの下、婦人警察官による事情聴取が行われる。この際、被害者が15歳以下(13〜15歳は本人の同意が必要)の場合、事情聴取の様子が録画される。被害に遭った子供たちの心理的負担を少なくするため、本人が出廷する代わりに、録画した内容が公判で被害者の陳述として使用される。

 さらに希望者には法律相談も行っており、センターには登録されている約50人の弁護士が、当番制で被害者の相談に当たっている。
 こうしたセンターができた背景として、性犯罪の場合、被害者側が証言しにくいことや男性の警察官らから何度も聴取され、心理的に負担が大きいため、それを軽減する目的で、2005年8月に開設されたのが始まりだ。
 ソウルにあるセンターには2007年に1年間で約900人の利用があったが、うち99%が性犯罪の被害者だ。昨年は10月末現在で利用者は898人で、うち性犯罪被害者が845人、家庭内暴力が43人、校内暴力が10人となった。
 性犯罪被害者845人のうち42人(4・9%)は、加害者が近親者だった。最近は家族形態の多様化で、母親が再婚した場合など義父から性虐待を受けるケースも増えているという。
 センターの利用者は年々増加しているが、性犯罪件数が増えたためではなく、センターの認知度が高くなり、単に利用者が増えたことが理由だ。
 実は、韓国内で発生する強姦、強制わいせつといった性犯罪は日本よりも多く、米国並みだ。2007年に1年間で、韓国では1万5325件発生し、人口1万人当たり3・16件発生している。日本は9430件で、1万人当たり0・74件。つまり韓国の発生率は、日本の約4倍と高いことがわかった。
 また日韓の性犯罪の件数でとくに差が出たのは、韓国の方が強姦の件数が異常に高いことだ。日本で起きた性犯罪のうち強制わいせつが8割ほどを占め、強姦の件数は1766件(2割程度)だったのに対して、韓国は全体の半数以上を占める8732件と、日本の5倍近くに達した。

事件の取り調べの際、被害者が幼く、言葉で説明できない場合は人形を使って被害の様子を証言させる
 ちなみに米国の性犯罪の発生は1万人当たり3・09件で、韓国とほぼ同水準だ。ただ韓国の方が性犯罪被害者が周囲の目を気にして被害届を出すケースは米国よりも少ないと予想されるので、実際は米国以上の発生率かもしれない。

 韓国で性犯罪が多い理由として、「男尊女卑や貞節などの儒教的な考えが残る中、性犯罪の場合は加害者よりも被害者の方が社会的に非難を受けるといった風潮がある。そのため被害者が強姦された事実を隠すケースが多く、加害者側はそれを良いことに『どうせバレないから』と安易に考えているためではないか」(警察関係者)という。
 ただ、こうした卑劣な性犯罪者を、韓国の司法当局が野放しにしているわけではない。性犯罪の場合、再犯率が50%と高いことから、前科者や仮釈放者などの足に全地球測位システム(GPS)付きの足輪を装着して、24時間監視する制度も昨年9月から実施されている。
 また、性犯罪者本人が希望すれば、薬品やホルモン治療によって「去勢」する国立の医療施設も今年1月、韓国で初めて開設された。

 韓国では性犯罪の発生が高い分、性犯罪の被害者支援体制や再発防止体制が日本よりもずっと進んでいる。こうした分野で先を行く韓国から日本が学ぶことは多い。ただGPS付き足輪などは、日本では人権侵害などと反対する声が大き過ぎて、導入は難しいだろう。日本には、被害者よりも非道な罪を犯した者の人権をなぜか声高に叫ぶ人たちがいるから…。(ソウル 水沼啓子、写真も)
産経新聞21.1.25

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2009年01月24日

夫婦げんかの頻度

夫婦けんかの頻度
産経新聞21.1.18
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2009年01月23日

全国体力テスト

体力点都道府県別順位
産経新聞21.1.22

中学2年の平均点
読売新聞21.1.22
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2009年01月22日

オバマ大統領の就任演説(全文)

オバマ米大統領、就任演説全文

  ◆危機への決意◆
 市民の皆さん。私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。
 これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。
 ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。
 我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。
 これらは、データと統計に基づく危機の指標だ。予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。
 今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。
 この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。
 この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。

 ◆国家の偉大さ◆
 我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。
 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。
 我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。
 我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。
 我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。
 しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。

 ◆米国再生◆
 これが今日、我々が続けている旅なのだ。米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国再生の仕事に着手しなければならない。
 なすべき仕事は至る所にある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、我々を一つに結び付ける。科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。
 我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。だが、彼らは忘れている。彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。
 皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる。公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。
 問うべきなのは、市場の良しあしでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

 ◆我々の安全とは◆
 我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤(てんびん)にかけるという誤った選択を拒否する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保障する憲章を起案した。憲章は、何世代もの犠牲によって拡充された。これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。今日(の就任式を)見ている他国の国民や政府ら。巨大都市から私の父が生まれた小さな村まで。米国が平和と尊厳の未来を求めるすべての国々、すべての男女と子供の友人であり、我々がもう一度、指導力を発揮していく用意があると、知ってほしい。
 前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。
 我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。

 ◆変わる世界◆
 我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。
 我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。
 我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。米国が、新しい平和の時代に先駆ける役割を果たさねばならないと。
 イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。
 貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。
 我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

 ◆新しい責任の時代◆
 政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。
 我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。
 いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。
 これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。
 これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか。

 ◆自由を未来へ◆
 だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。
 「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」
 アメリカよ。我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。
 そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。そして、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。
 ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

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2009年01月14日

【正論】 ホントは怖い「多文化共生」 埼玉大学教授・長谷川三千子

【正論】 ホントは怖い「多文化共生」 埼玉大学教授・長谷川三千子
                                                                                     2009.1.12
 ≪意味不明な内閣府の提言≫

 ちかごろ「共生」という言葉をよく目にします。内閣府では、平成16年に「共生社会政策担当」という部署ができて「共生社会」の実現を推進中ですし、総務省では平成18年に「多文化共生推進プログラム」の提言がなされて、目下、各地方自治体に多文化共生推進の大号令が下っている−どうやら「共生」はこれから流行(はや)りのスローガンになりそうな勢いです。

 しかしそれにしては、この「共生」という言葉、いまひとつ意味がはっきりとしません。ただ単に「共に生きる」というだけの意味だとすると、われわれ人間は大昔から集団を作って共に生きる生物として暮らしてきたのですから、いまさら共生社会の実現を叫ぶというのも妙な話です。たしかに戦後の日本ではやたらと「個人」の尊重ばかりが強調されてきて、日本文化の特色をなしてきた人と人との間柄の尊重ということが崩れてしまった。これをなんとか建て直そう、というのなら話は分かります。しかし内閣府のホームページを見ると、そういうことでもないらしい。「国民一人ひとりが豊かな人間性を育み」「年齢や障害の有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる」のが共生社会なのだという。いささか意味不明です。

 ≪日本文化は単なる一文化?≫
 これに対して、総務省の「多文化共生推進プログラム」の方は、きわめて狙いが明確です。要するにこれは、近年の外国人定住者の増加という現象にともなって出てきた話だというのです。このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています−「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。

 なるほど、これまで日本人は外国人のすることはみな「お客様」のすることとして大目に見てきたけれど、「住民」だとなればキッチリ地域のルールを守ってもらいましょう。日本語もしっかり覚えてもらって、「ニホンゴワカリマセーン」の逃げ得を許さない、ということですね、と思うとさにあらず。今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。


 つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。

 ≪「棲み分け」の回復こそ≫
 どうしてこんな話がまかり通ってしまったのか。おそらくその鍵は「共生」という言葉にあります。生物学では、異種の生物同士が同一の場所で互いに利益を与えたり害を与えたりしながら生きてゆくことを総称して「共生」と言うのですが、「共生」と聞くとわれわれはすぐ、アリとアリマキのような共利共生を思いうかべてしまう。だから「共生」イコールよいこと、というイメージが出来上がってしまうのです。

 しかし、実際の生物世界の共生は、互いに害を与え合うことすらある苛酷(かこく)な現実そのものです。そして、それにもかかわらず、なんとか多種多様の生物たちがこの地球上を生き延びてこられたのは、そこに或(あ)る平和共存のメカニズムが働いているからであって、それが「棲(す)み分け」なのです。

 これは、かつて今西錦司さんが、同じ一つの川の中でも、流れの速いところ遅いところ、住む場所によってカゲロウの幼虫が違う体形をしていることから思い至った理論です。つまり生物たちはそれぞれ違った場所に適応し、棲み分けて、無用の争いや競争をさけているということなのです。実は人間たちも(カゲロウのように体形自体を変えることはできなくとも)多種多様な文化によって地球上のさまざまの地に適応し、棲み分けてきました。


 それぞれの土地に合った文化をはぐくみ、そこに根づいて暮らす−これが人間なりの棲み分けシステムなのです。ところがいま、この平和共存のシステムは世界中で破壊されつつあります。日本に外国人定住者が増加しつつあるのも、そのあらわれの一つに他なりません。この事態の恐ろしさを見ようともせず、喜々として多文化共生を唱えるのは、偽善と言うほかないでしょう。

産経新聞21.1.12 正論

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2009年01月06日

■【天皇の20年】皇位継承に制度的安定を 小堀桂一郎

■【天皇の20年】皇位継承に制度的安定を 小堀桂一郎

                                                             平成21(2009)年1月1日[木] 

  平成21年といふ新しい年を迎へて、我が国が官民挙げて取り組むべき重要な国家的課題は何々であらうか。是非に且(か)つ緊急に解決しておかなければならぬ懸案は次々と思ひ浮かぶのだが、昨年12月19日に今上(きんじょう)天皇御在位20年奉祝の式典が執行(とりおこな)はれ、本年11月12日には平成2年の即位の御大典挙行から20年目といふ奉祝行事が開催されるといふ予定に鑑(かんが)みても、次の一事こそ本年といふこの機会を捉(とら)へて何とか解決に漕(こ)ぎつけたい喫緊の大事である。

 即(すなわ)ち、平成18年9月6日、秋篠宮家に待望の皇位継承権を保有せられる男児として悠仁(ひさひと)親王殿下が御誕生になつたことは、文字通りに暗夜に曙光のさし初(そ)めた如き慶(よろこび)を国民にもたらしてくれたのであつたが、反面、皇位継承といふ国家最大の重儀の末長い安定をと志して展開されてゐた国民運動の熱気が、御慶事を契機に急速に冷却してしまつたといふ事態がある。

 ≪危機の回避には至らず≫
 顧みれば、平成17年12月に小泉内閣が召集した「皇室典範有識者会議」の面々の統一見解であると伝へられた、国体の破壊を企(たくら)む典範改悪の方向に危険を感じた一部民間有志の研究組織たる「皇室典範研究会」(本「正論」欄の執筆員である大原康男、百地章、八木秀次の諸氏もその成員である)は、度々の声明発表や集会決議を通じて、典範改悪への策謀の阻止を訴へ、警告を発してきた。


 18年2月7日の秋篠宮妃殿下御懐妊の朗報を以(もっ)て、典範改悪の謀議は一朝にして事実上瓦壊したのだが、この会はその後に於(お)いても、皇位継承の危機回避・制度的安定のための最大の鍵は、一皇族男子の御出生のみを以てしては到底覆ひきれない深層に存するとの見解を持して、引続いて特別立法案の研究を進めてゐた。


 この研究は18年秋の悠仁親王殿下御誕生により一般の危機意識が楽観的観測に転回した後にも当初の腹案に特段の変更を加へることなく、数へてみれば平成14年6月以来20年10月に至るまで6年の歳月を費して検討を続けてきた。


 共同研究の成果としての報告書はかなり長く、且つ詳細にわたるものであり、又事の性質上手軽に御紹介はできないが、題して「皇位の安定的継承をはかるための立法案」、その説明として「元皇族の男系男子孫による皇族身分の取得について(案)」といふ文書であるので、その性格を大凡(おおよそ)推知して頂けよう。


 なにぶん一篇の「立法案」なのであるから、報告書をまとめただけでは未だ何事も始動するわけではない。研究会はこれを超党派の組織である「皇室伝統を守る国会議員の会」の世話人方と20年10月下旬に接触の上、報告書についての研究会側の著作権めいたものは一切考慮不要として、文書の含む資料・情報・提案の全てを当該国会議員諸氏の自由な利用に委ね、具体的な立法措置の検討に取りかかつて頂くこととした。謂はば、皇位継承の重儀の制度的安定化といふ重大問題を、歴史的論理的研究の段階を漸(ようや)く通過せしめ、実践的政治的実現の段階へと移行させる準備を辛うじて終へたところである。


 ≪陛下への最大のお慰め≫

 問題は、冒頭に一言した如く、現在の政界があまりにも多事多端で、解決すべき緊要の課題が目前に山積してゐるといふ状況の中で、立法府の議員諸氏がこの様な選挙での得票にはつながり様もない雲の上の問題にどれほど関心を持ち、その政治力を傾注して下さるか、である。


 仄(ほの)かに承るところによれば、今上陛下の御健康状態は必ずしも好転されてをらず、宸襟(しんきん)を悩し奉る御身辺の坎●(かんか)も跡を絶たないといふことである。蒼生(そうせい)の一人として畏(おそ)れながら憂慮に堪へないと言はないわけにゆかない。

 比較的御高齢での即位を果された今上天皇が、既に御在位の期間20年に達せられたといふことは実にめでたい次第であり、昨年中に奉祝式典を企画・実行された人々、本年秋の御即位20周年奉祝行事を予定してゐる民間諸団体、臨時祝日の制定に向けて動いてゐる立法府議員諸氏の祝意に水をさすつもりは毛頭ない。 

 然し、御加齢と御心労による御憔悴(しょうすい)が明らかに看て取れる両陛下にとつて、現在最も肝要なお慰めの料(れう)は、皇室の将来について、制度的にも真の御安心を頂くための法的政治的施策に、少くとも近々に着手することではないのか。あの愛らしい悠仁親王殿下が愈々(いよいよ)御践祚(せんそ)といふ将来の或る日に、周囲に所謂(いわゆる)皇室の藩屏(はんぺい)が皆無といつた状況が生じる可能性は現に有るのだ。そんな深刻な事態を何としてでも避けたい。本年こそその対策に立ち向ふべき決断の秋(とき)である。

産経新聞 21.1.1から引用

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2008年12月29日

【昭和正論座】再び中国報道について問う 作家 曽野綾子

再び中国報道について問う

■樋口氏の記事に寒気覚え
 十一月二十二日から二十六日までの間の四日間に、毎日新聞に樋口恵子さん(平成20年現在評論家 東京家政大学名誉教授)の「中国でみたこと」という記事が、四回に渡って出た。私は隅から隅まで、なめるように読み、再読し、記事を切り抜いた。

 樋口さんのエッセイによると、中国にはイヌやネコが見当らないのだと言う。
「通訳の王さんが、この答えを出してくれた。「新しい中国で、イヌもネコも失業してしまったんですよ。イヌはドロボウの番をする役目でしたが、解放後、ドロボウはほとんどいなくなりました。ネコはネズミをとるのが仕事でしたが、そのネズミを人民の努力によってせん滅してしまいましたから』」
 樋口さんはイヌ・ネコ好きである。イヌ・ネコを飼うのは、決してドロボウの番やネズミとりだけではない、と言う。

 「『そう、外国の人たちは、イヌやネコをよくペットとして飼いますね。中国ではペットはいらないんです。ぺットを愛するのは、人間が信じられないからです。中国では人間同士、同じ階級の同志として愛し合い、満たされているから、イヌやネコによって慰められる必要はありません』」
 ここを読んで私が背筋に寒気を覚えたのは本当である。


■問題感じない人間は異常
 私は今、人を信じられないどころではない、人間の偉大さと卑怯さと、それらのまじり合って混然とした生甲斐の真只中に暮している、と感じている。私が今、生きていることは、直接間接に、他の人々の恩恵によるものである。
 
 私はおもしろい友達をたくさんもち、尊敬に価する知人を各方面にもち、三人の父母たちと、おかしなことばかりしでかす息子の間で、生活に立ち向っている。それでもなお、私はどうしても、私の家から出て行かなかった、世にも薄汚いネコを一匹飼っている。私はネコなどそれほど好きではない。しかし飼ってみれば、それなりに、私はネコから教えられ、ネコと人間の違いをおもしろく観察している。
 ドロボウなら警報ベルの方が確かである。ネズミなら、殺鼠剤の方が効果がある。イヌ・ネコの効用は決してそんな単純なものではない。イヌ・ネコを飼うことは人間の生活にとって一種のムダか余裕であろう。そのムダと余裕が、人間を精神的に豊かにするのである。

 
 樋口さんは又、北京大学へ行かれる。
「『年ごろですから、恋愛も多いでしょうね。学生結婚する人は何組くらいいますか』と質問したら『学生結婚というのは、まずありません。恋愛についても、学生時代は勉強し、思想を向上するのが本分だと理解していますから。余暇もスポーツや文芸活動に打ち込んで、エネルギーを発散しますから、問題ありません』」

 この言葉には、明らかに嘘がある。なぜなら「問題ありません」ということは、この世で、過去にもなかったし、未来にもない。問題を感じなくなったら、人間は異常である。私の知人の十九歳の初年兵は、兵営の中で一度も性の衝動を覚えなかった。「問題はなかった」が、そのことが異常であった。


■「何でもよくなる」不可解
 次に樋口さんは、働く主婦たちについてふれる。今、中国では、六十歳以下で家にいる人は、「ほとんどいない」という。通訳氏は、「ムダ飯は食わない」ということをしきりに言う。女が働くための設備は実にいい。三交代制にそなえて、二十四時間開いている市場には、味つけしさえすればOKという盛り合わせのコーナーもある。
「どの保育所でも、子供たちは生き生きとしていて、日本流の『母親のスキンシップがなくては…』などという悩みは、ほとんど理解できないようだった」と樋口さんは書いておられる。


 私は自分が働いている人間である。小説は虚業だが、実業の家事はかなり有能なつもりである。私はあまりムダ飯を食っていないように見えるが、それなら、一見、三食昼寝つきに見える家庭の奥さんが、ムダ飯を食っているなどと思ったことはない。私は小説を書くことによって、人間の心は、「一見」などでわかるものではなく、どんな生き方も死にものぐるいであることを知った。外で働く運命を持つ者もあり、家にいることによってその役割を果している主婦もいる。人それぞれに与えられた使命を人間的にがっしりと受けとめて、生涯に立ち向かうことが美しいのである。皆が一律に外で働かねばならぬことが、何がいいものか。
 日本のジャーナリズムは、こと中国に関する限り、何でもよくなるのはどういうことなのだろう。


■中国大使館の見解を求む
 日本でも、イヌ・ネコはいらないヽと考えることがいい、というなら、それもよかろう。大学での学生結婚も事実上できない雰囲気を作って「問題ありません」ようにすることが我が国でも理想なら、それもけっこうである。 しかし大学の自由を守ることが我々の理想なら、中国の状況は決していいものとは言えない。婦人労働の三交代制といえば、当然、深夜も含まれるが、おかず屋やその他の附属設備さえ作れば、日本でもただちに婦人を深夜労働に就かせるべきなのか。私は賛成だが、それは、おおかたの労組の考えるところとは正反対の方向を目ざすものであろう。

 働く母が、外でできあいのおかずを買うこと、子供と接触時間が少なくなること、は日本では、今改めて、よくないことと考えられている。それは教育学者や、心理学者など、専門家たちの意見でもあろう。それらが、なぜ中国ならいいことになるのだろうか。
 中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない物の言い方をして来たことを、私は忘れないつもりである。

 もしそれらの報道が正しくないなら、偉大な中国をこのように歪めて伝えたジャーナリズムの罪は大きい。もし中国に関するデータが真実なら、過去の日本で我々が自発的に、人道上の立場から切りすてた要素を、中国なるが故に無責任に讃美したジャーナリズムに対して私は考えを変えるべきである。国交が回復した今、私が本当に聞きたいのは、中国大使館の見解である。彼らが、日本風に言えば「酸いも甘いもかみわけた」大人の日本人を納得させる豊かな中国像を示してくれれば、日本にも君子は少くないから、熱烈な中国ファンに豹変すること、疑いないと思うのである。
                    作家 曽野綾子 昭和49年12月11旧掲載


「視点」
昭和49年11月下旬、毎日新聞に樋口恵子氏が寄せた「中国でみたこと」を曽野氏が論評したものだ。曽野氏はエッセー中の「中国にはドロボウもネズミもいないから、その番をするイヌやネコもいない」というくだりに寒気を覚え、「学生は勉強と思想向上が本分で、学生結婚はない」との話にうそを見抜いた。
 当時、中国から伝えられる話は大体、このようなものだった。同じころ、秋岡家栄・朝日新聞元特派員も人民公社をたたえるルポを書いている。曽野氏は「中国問題に関する限り、日本のジャーナリズムは正気とは思えない」とも書いた。それから30年余、親中派の新聞も少しは中国の真実を見抜くようになった。(石)

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2008年12月21日

【昭和正論座】「あいさつ」を忘れた日本人

東大教授・西義之 昭和49年10月23日掲載
 ≪静かな欧州と比べると…≫
 東西ドイツの問題も一応解決し、エネルギー危機もこれまた一応回避した西ドイツは、イタリアの混乱とイギリスの総選挙の話題以外に一見これといった大問題をかかえていそうにありません。

 南ドイツ新聞やフランクフルター・アルゲマイネ、ツァイトなどの編集者の何人かと話しあう機会がありましたが、「少くともドイツにはいま緊急の問題はありませんね」と、こちらが拍子抜けするような返事しかかえってこず、それにくらべると、「むつ」問題、佐藤前首相のノーベル平和賞、東京での再度の爆弾事件、アメリカ軍艦の核装備問題といい、わずか二、三週間留守をしても、日本はなにかちょっと触れればすぐ燃え上るワラシベのようなものに全土がおおわれている印象がとくに強いようです。

 「静かなヨーロッパと沸々とした日本」−−この印象はむろん今度がはじめてではありません。といっても表面静かに見えるヨーロッパの内に全くなにも問題がないというわけではないでしょう。たとえば西ドイツですが、外人労働者の問題は深刻だという人があります。エネルギー危機以来、西ドイツでもレイオフや失業者増加の可能性はいくつかききました。

失業問題が表面化すると、最初に首を切られるのは外人労働者ではないかということであります。外人労働者はいまドイツ人以上に勤勉なので、その首を切ることは一般的な生産低下につながりますし、なによりも外人労働者の従事している職種が、いまのドイツ人のしたがらないものが多いので、生産低下どころか、町全体がゴミの堆積(たいせき)になってしまわないかという危惧(きぐ)さえ生ずるわけです。

 ≪せかせかと何かありげに≫
 「外人労働者は、アメリカの黒人並か?」というプラカードをかかげたデモを見たことがありますが、この問題が若い過激な学生を刺激する可能性もないではありません。外人労働者と失業という関係だけからでなく、外人労働者の子供の保育費(大体、子供が多いのが普通です)の問題、税金、さらに外人労働者子弟の教育条件と、私たちあまり外人労働者をもっていない国民にとっては想像もできない、そして意外に解決困難な問題がいくつも見えかくれしているのが実情なのです。

 しかも日本よりも先進工業国といえる西ドイツの公害問題、大学問題と、そのどれをとっても緊急さをひめていないことはないのですが、どうやらこの国はすべての問題を大袈裟にさわぎ立て、ドラマティジーレン(劇化)しないことに覚悟をきめたように見えます。この国だけではなく、なんどか破産を伝えられるイタリアやイギリスも、その日々の生活の上に「おや、これでも危機か?」と首をかしげたくなるような冷静さが支配しているようです。そして(私を含め)なんだか日本人旅行者だけが、せかせかと何かありげに歩きまわっているみたいでもあります。

 「終末論的雰囲気はドイツにありませんか?」と私がききましたところ、一人の編集者はニベもなく「ありませんね」と答えましたし、ある一人は「石油危機のとき一時的にありましたが、アブクみたいに今は消えました」と言うだけでした。私が参議院選挙のとき、ある作家が「日本はこのままでは飢えて滅びる」というのを唯一のスローガンにして立候補しましたよと話しだすと、みんな不思議そうな顔をし、予言者と政治能力は一致するのだろうか、その候補者はそれで何票ぐらい集めたかと好奇心をちらりと見せたのが、せいぜいの反応でした。

≪まるで動物のような訪問≫
 その作家は昨年春ある週刊誌で福田前蔵相と対談をし、「今年は絶対に不作で、飢饉(ききん)がおこりますよ。賭けませんか」と言っていましたが、その年も今年もべつに飢饉なんておこる様子もなく、その作家も参院選では何十万票か稼ぎ、さらにペンクラブに大挙入会しようと騒いだり−−とにかくフワフワした日本の社会の象徴のようにただ騒々しいだけであるのを、いまちょっと思い出しています。その作家の友人たちもマスコミも、彼をたしなめるどころか、野次馬のようにその周辺にむらがってわいわいやっている風景が、望遠鏡を逆さにのぞいたように遠く小さく見えてきます。

 話題をかえて、今度印象ぶかく思った話を一つ書きます。こちらの大学で有力な地位にいる日本人教授のところに、日本の大学にいる知人が訪問してきたときの話です。

 ちょうど研究室に友人のほかに数人のドイツ人の助手、学生が同席していたのですが、彼はそれにはほとんど目もくれず、「やあ、なつかしいなあ。どうしてる?」と大声でいって寄ってきたそうです。その知人を駅から案内してきたドイツ人にも、彼はべつに一言もお礼をいうでもなく、ようやく日本語をしゃべることのできる嬉しさに、周囲を無視して話しかけるので、しまいにはこちらの大学の日本人は不思議な動物でも見るように、この知人をながめないわけにはいかなかったというのです。

≪世相を一層とげとげしく≫
 私も今度の旅でタクシーを利用することが多いのですが、タクシーの溜り場で、先頭のタクシーのドアをあけると、まず「今日は!」か「今晩は!」と挨拶(あいさつ)するのがふつうです。そして向うもむろんそれに応じます。「どこどこへ行ってくれませんか?」というと、返事することもあり、返事しないで車を動かすこともありますが、途中で話しかけても応じてくるし、降りぎわに「領収書を下さい」と頼むと、正規の領収書にちゃんと署名してくれます。

 日本で、タクシーの運転手の言葉づかいがよく問題になりますが、こちらのようにこちらから「今日は!」と挨拶する人はまずありますまい。「渋谷!」などと言いすてるだけのことが多い筈(はず)です。私はふと、私たちはこちらからマトモな挨拶一つしないで、ただ相手が無礼だと言いすぎていないのだろうか? と考えこんでしまいました。

 ホテルでも、廊下で掃除のおばさんとすれちがっても「今日は!」と挨拶します。煙草一つ買いに店にはいっても「今日は!」「ダンケ・シェーン」の挨拶は忘れるわけにいきません。電車で肘がちょっと触れても「パルドン!」です。

 日本は礼儀の国だといわれたことがありますが、本当なのでしょうか? お客さんにお辞儀一つできない子供ばかり育てながら、差別だなんだかんだと騒いでいるのではありますまいか? それが日本の世相をいっそうとげとげしくし、いたるところで無用の紛争を起していないでしょうか? 五つの大切よりも、まず挨拶を復興しなければならないのではあるまいか? そんな小さなことを考えながら、ドイツの宿の一室で騒然たる日本のことを思いだしたりします。=ボンにて (にし よしゆき)
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 【視点】石油危機や金融危機に直面して、国民はパニックになるか、団結して乗り切るか。それぞれの国民性が表面化するらしい。西義之氏のドイツ・ルポは、かの地が石油危機にあっても終末論的な雰囲気が一過性であり、パニックに陥った日本とは大きな違いであることを報告している。
 その筆は、勢いのままに品位と礼節があった日本人が、変わってしまったことを嘆く。ときに横柄に感じる欧米人が、実は日ごろからちょっとした気遣いやあいさつ、礼儀を心得ていることを強調する。西氏にしては珍しい散文によって日本人に苦言を呈した。それから三十余年、祖国のマナーはますます低下している。(湯)
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 産経新聞「正論」欄の35周年を記念し、当時掲載された珠玉の論稿を再録 2008.12.20
posted by Depot at 10:46| Comment(1) | TrackBack(0) | D/B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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